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新聞はいつどう広まった?

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明治めいじから 宅配制度たくはいせいど下支したざさ

 Q 新聞しんぶんはいつどのようにひろまったの?(兵庫県西宮市ひょうごけんにしのみやししょう男子だんし

 Q なぜ毎日小学生新聞まいにちしょうがくせいしんぶんのキャラクターがひよこ?(東京都練馬区とうきょうとねりまくしょう5・山中美月やまなかみづきさん)

 A 毎年まいとし10がつ15にちから1週間しゅうかんは「新聞週間しんぶんしゅうかん」です。新聞しんぶん歴史れきしをひもといてみましょう。

 手前てまえみそですが、現在日本げんざいにっぽん毎日発行まいにちはっこうしている新聞しんぶんなかで、一番古いちばんふるいのが毎日新聞まいにちしんぶんです。毎日新聞まいにちしんぶん歴史れきしをまとめたほん「『毎日まいにち』の3世紀せいき」や、「新聞しんぶん歴史れきし」(日本図書にほんとしょセンター)で調しらべました。

 日本にっぽん新聞しんぶん歴史れきしは、江戸時代えどじだいの「かわらばん」にはじまります。自然災害しぜんさいがいやあだちなどのニュースをイラストりで紹介しょうかいした、庶民向しょみんむけの情報紙じょうほうしです。木版もくはん文字もじってり、街中まちなかあるいていました。しかし、明治時代めいじじだいはいると、新聞しんぶん発達はったつしてかわらばん衰退すいたいします。

 1870(明治めいじ3)ねん12がつ日本最初にっぽんさいしょ日刊紙にっかんし横浜毎日新聞よこはままいにちしんぶん」が創刊そうかんされました。72ねんがつ21にち毎日新聞まいにちしんぶん前身ぜんしんである「東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん」が東京とうきょう発行はっこうされました。当時とうじ毎小まいしょうおなじサイズのタブロイドばんで、1ページ。発行部数はっこうぶすうやく1000でした。名前なまえが「毎日新聞まいにちしんぶん」になったのは1943ねん来年らいねん創刊そうかん145周年しゅうねんです。

 「東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん」ができたころには、新聞配達しんぶんはいたつ登場とうじょうします。てんびんぼう新聞しんぶんはこび、こう脚半きゃはんけた時代劇じだいげきるような旅装束たびしょうぞく配達はいたつしたそうです。すぐに郵便制度ゆうびんせいどができて地方ちほう読者どくしゃには新聞しんぶん郵送ゆうそうされるようになり、新聞配達制度しんぶんはいたつせいど定着ていちゃくすると読者どくしゃえて、1875(明治めいじ8)ねんごろには新聞販売店しんぶんはんばいてん開業かいぎょうしました。新聞しんぶん宅配制度たくはいせいどは、日本にっぽん新聞発展しんぶんはってんおおきく寄与きよしました。

 毎日小学生新聞まいにちしょうがくせいしんぶん創刊そうかんは1936ねん今年ことし12がつ22にちに80さいのお誕生日たんじょうびむかえます。今月こんげつからはじまった、1めんの「めくりタイムトラベル」は誕生日たんじょうびまでつづきますよ。では、毎小まいしょうキャラクターとしておなじみのヒヨコはなぜ、ヒヨコなのか? それは、毎日新聞まいにちしんぶんのキャラクターが「なるほドリ」だから。毎小まいしょう毎日新聞まいにちしんぶんのこどもばんなので、とりではなくヒヨコなのです。これからも毎小まいしょうをよろしくね!【出水奈美でみずなみ

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