今から73年前の8月6日、世界で初めて戦争で核兵器が使われたのは日本においてでした。日本と戦っていたアメリカ軍が広島に原子爆弾(原爆)を落としました。3日後の8月9日には、長崎にも原爆が落とされました。とてつもない威力のある残虐な兵器だとわかったのにもかかわらず、その後も世界は核兵器を持つことで安全を保とうとする国が絶えません。知りたいんジャーが、核兵器の誕生から廃絶へと向かう道をたどります。【大井明子】
「核兵器」って何?
核兵器とは、「核分裂」や「核融合」という、自然では起きないような現象を人工的に起こして、そこで生まれる巨大なエネルギーを利用した兵器です。一度に多くの命を無差別に奪う「大量破壊兵器」の一つで、強烈な熱と爆風により、一瞬で多くの命を奪います。さらに、強い放射線を発して人間の細胞を傷つけるため、体が弱くなったり、がんになったりして、被害にあった人はその後も長く苦しめられることになります。
核兵器はいつ生まれたの?
核兵器の原理である「核分裂」という現象は、1938年にドイツの科学者によって発見されました。いくつかの国が、兵器に使えるのではないかと考えて研究を進めましたが、原料となる物質のウランをたくさん手に入れるのが難しかったことや、ウランを爆弾にするために必要な濃縮という技術が非常に難しく、ほとんどの国が開発をいったんは断念しました。日本も研究していましたが、途中であきらめています。
しかし、45年7月にアメリカが世界で初めて原爆を開発して実験に成功。8月に広島と長崎に原爆を投下しました。その後、旧ソ連(今のロシアなど)、イギリス、フランス、中国なども核兵器を持つようになりました。核兵器の威力は増しており、広島で使われた原爆の3000倍以上の威力を持つ水素爆弾なども開発されています。
ひどい兵器が増えたのはなぜ?
広島や長崎の原爆の被害を見て、世界各国は震え上がりました。しかし、「残虐な兵器だから廃止しよう」ということにはならず、「もし自分の国がこんな兵器で攻撃されたら大変だ。だから自分たちも核兵器を持たなければ」と考える国が出てきました。「核兵器さえ持っていれば、他の国は仕返しを恐れるだろうから、核兵器で攻撃してこないだろう」という「核抑止論」の考え方が広がりました。
第二次世界大戦後は、「冷戦」と呼ばれる対立関係にあったアメリカと旧ソ連が、核兵器の開発を競い合いました。ピークの時には両国を中心に世界で7万発以上もの核兵器がありました。1989年に冷戦が終わりましたが、核兵器の抑止力に頼る国はなくならず、近年の減るペースは鈍っています。スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は、世界の核弾頭の数を1万4500発ほどとみています。
核兵器を持たない方が安全?
核軍縮に詳しい明治学院大学国際学部教授で、同大学の国際平和研究所所長の高原孝生さんは「ここ10年ほどで、核兵器に対する考え方が変わってきた」と指摘します。「残虐で非人道的な兵器だから持つべきではない」というだけでなく、「核兵器を持たない方が安全」という考えが出てきました。
核兵器を持っていると、間違って発射するなどして、自分の国で被害が出るかもしれません。また、テロリストに核兵器を奪われて攻撃される可能性があります。テロリストには「核抑止論」は通じないので、仕返しを恐れず奪った核兵器で攻撃してくるかもしれません。
核兵器は禁止されたの?
1970年には、核兵器を持つ国をアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に限る「核拡散防止条約」(NPT)が発効(効力を持つこと)しました。NPTは核兵器を持つ国に核軍縮を促しましたが、なかなか核軍縮は進みませんでした。また、核兵器を持つとされるインドとパキスタン、イスラエルは加盟せず、北朝鮮も2003年に抜け出してしまいました。
核兵器を持ったり、使ったりすることを禁止するため、核兵器禁止条約が昨年7月に国連で採択されました。条約の成立に中心的な役割を果たした国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)は、ノーベル平和賞を受賞しました。
条約の発効には、50か国の批准(国内の手続きを経て、約束を守ると確認すること)が必要で、今のところ14か国・地域が批准しています。アメリカやロシアなど核兵器を持つ国は反対しています。アメリカの核の傘の下にいる日本政府も条約の話し合いに参加しませんでした。
ただ、ICANなどを通じて日本の被爆者の声が届けられ、条約の前文には被爆者の苦しみと被害を心にとどめる意味を込め、「ヒバクシャ」の表現が盛り込まれました。高原さんは核兵器禁止条約を「最も残虐な兵器が禁止されなかった異常な状態が、ようやく終わりそうだ」と評価し、条約への参加に及び腰を続けてきた日本政府の姿勢については「唯一の戦争被爆国である日本に対する世界の期待を裏切ることになる」と話しています。
◆原爆の被害
<長崎市>
原爆投下:1945年8月9日午前11時2分
死者数(1945年末時点):約7万4000人
当時の人口:約24万人
<広島市>
原爆投下:1945年8月6日午前8時15分
死者数(1945年末時点):約14万人
当時の人口:約35万人
核兵器禁止条約を批准した国・地域
オーストリア
コスタリカ
キューバ
ガイアナ
バチカン
メキシコ
ニュージーランド
ニカラグア
パラオ
パレスチナ
タイ
ウルグアイ
ベネズエラ
ベトナム
※7月末時点。ICANのホームページより