「紀州太地浦鯨大漁之図」(部分)。幕末の1861年の作品で、和歌山県沖でクジラに網をかけてもりを撃つ場面が描かれています=太地町立くじらの博物館提供
千葉県南房総市にある「道の駅和田浦WA・O!(ワオ)」では、「クジラの竜田揚げ」などの学校給食を再現した「くじら給食」(648円)が販売されています。房総半島では江戸時代から捕鯨が根づいてきました
日本政府は7月、肉などを売るためにクジラを捕る「商業捕鯨」を31年ぶりに再開しました。海に囲まれた列島で暮らしてきた日本人は古くからクジラと関わり、鯨食の文化を築いてきましたが、クジラを保護すべき野生動物と考える反捕鯨国からは厳しい目で見られています。【木村健二】
◆主な参考文献
商業捕鯨が再開し、小型捕鯨船から水揚げされるミンククジラ=北海道釧路市で2019年7月1日
大隅清治「クジラと日本人」(岩波新書)▽小松正之「日本の鯨食文化」(祥伝社新書)▽中園成生「日本捕鯨史【概説】」(古小烏舎)
いつからクジラを捕り始めた?
クジラは水の中で生きる哺乳類です。イルカもその仲間です。シロナガスクジラは、体長34メートル、体重190トンという記録があり、世界最大の動物です。
日本では、縄文時代の遺跡からイルカやクジラの骨が相次いで見つかっています。日本最大級の縄文時代の集落跡として知られる、青森市の三内丸山遺跡(約5900年前~4200年前)でも、イルカやクジラの骨が出土しました。
このころは、たまたま浜辺に乗り上げて動けなくなったクジラを解体したり、岸に近寄ってきたイルカの群れをとったりしていたようです。肉を食べていたほか、平たく丸いクジラの骨が、土器を作る時の道具として使われていました。
昔の人はどうやって捕っていた?
日本の伝統的なクジラの捕り方は「古式捕鯨」と呼ばれています。
室町時代になると、複数の船で海にこぎ出し、もりでクジラを突く「突き取り式捕鯨」が行われるようになりました。江戸時代に入った1606年には、太地(今の和歌山県太地町)で捕鯨を専門の仕事にする人たちの集まり「鯨組」が作られました。これが日本で最初にできた鯨組です。
さらに太地では、1675年に画期的な捕り方が開発されました。網をかぶせてクジラの動きを鈍くしてから、もりで突く「網取り式捕鯨」です。網取り式捕鯨は、四国や九州などの西日本へ広がっていきました。当時は「鯨一頭捕れば七郷賑ふ(う)」(クジラ1頭をとれば、七つの里がうるおう)ということわざもあり、クジラは海の恵みを人々にもたらしてくれるものでした。
捕ったクジラはどうするの?
日本では、クジラ1頭まるごと全てを残さずに使い切ってきました。日本の捕鯨の大きな特徴です。
港の近くでは、新鮮なうちに肉や皮を刺し身(さ み)にして食べました。肉や皮、内臓の一部は保存が利くように塩漬けにしました。遠く離れた場所に運んでも、水で戻して食べることができました。
舌を「さえずり」と呼ぶなど、クジラの体の部位は細かな呼び名がつき、豊かな食文化が花開きました。皮の油を抜いた「コロ」は、関西のおでんの代表的な具材です。
皮や骨、内臓は煮たり、いったりして鯨油を取りました。鯨油は、明かり取りの油として使われたほか、イネの害虫を駆除する農薬としても使われました。骨は武器や工芸品の材料とされ、砕いた骨は肥料にもなりました。独特の弾力を持つクジラのヒゲは、文楽人形の動きを表現する仕掛けのバネなどに組み込まれてきました。
一方、ヨーロッパやアメリカの捕鯨の主な目的は、鯨油をとることで、船の上で油を取った後、肉や骨は海に捨てていました。鯨油は、明かりや機械油として使われ、産業革命を支えました。アメリカの使節ペリーが1853年に浦賀(今の神奈川県横須賀市)にやってきたのは、捕鯨船員への水や食べ物の補給を求めることが目的の一つでした。
捕り方、変わった?
ノルウェーで1864年、綱の付いたもりを船の先から発射してクジラを捕る漁法「ノルウェー式捕鯨」が開発されました。シロナガスクジラなどを確実に捕れるようになり、世界中に広まりました。日本でも19世紀末に取り入れられ、近代捕鯨が発展していきました。
第二次世界大戦で捕鯨船は、海軍の艦艇として使われたり、沈められたりしたため、日本の捕鯨業は大きな打撃を受けました。戦争に負けた日本は食糧難におちいり、アメリカの後押しで捕鯨を再開しました。たんぱく質が豊富な鯨肉が栄養源としてもてはやされました。学校給食では、クジラの赤肉にショウガじょうゆをしみこませ、かたくり粉をまぶして油で揚げる「クジラの竜田揚げ」が代表的なメニューになりました。
「商業捕鯨を再開」ってどういうこと?
捕りすぎで大型のクジラが減ったため、クジラを保護しながら捕鯨産業を続けていくために国際捕鯨取締条約が1948年に発効(効力を持つこと)しました。国際捕鯨委員会(IWC)ができ、日本は51年に加盟しました。
しかし、鯨油が使われなくなるなどして、ヨーロッパの多くの国が捕鯨をやめました。IWCは捕鯨に反対する国が増え、82年に商業捕鯨をいったんやめると決めました。日本は88年に商業捕鯨をやめ、北西太平洋と南極海でクジラの生態などを調べる「調査捕鯨」を始め、日本では調査のために捕ったクジラの肉を食べてきました。
日本政府は「生息数は回復してきた」などとして、昨年9月のIWC総会で商業捕鯨の一部再開を提案しましたが、認められませんでした。このため、今年6月末にIWCを脱退し、商業捕鯨を再開しました。排他的経済水域(EEZ、領海の外ですが自由に漁ができる一定の範囲)での「沖合操業」と「沿岸捕鯨」です。年末までに、ニタリクジラ、ミンククジラ、イワシクジラを計227頭捕る計画です。なお、ツチクジラなどの捕獲はIWCで規制されていません。
捕鯨の町にとっては、待ちに待った商業捕鯨の再開です。日本近海の新鮮な鯨肉が出回り始めました。ただ、鯨肉の国内消費量は60年代には20万トン前後でしたが、近年は5000トン前後に落ち込み鯨肉離れが進みました。一方で、反捕鯨国などから国際裁判に訴えられる可能性もあります。IWCを脱退してまで商業捕鯨を再開したことに意味はあるのかと心配されています。