地雷で吹き飛ばされた右足を、NGOの施設で治療したアフガニスタンの少女、ゼタラさん(中央)。義足で歩行訓練をしています=ドイツで2015年8月、ジャーナリストの西谷文和さん撮影
地道な努力が人を救う
今年は対人地雷全面禁止条約(通称オタワ条約)が実施されて20周年。11月25日に記念の会議が開かれ、私も出席予定です。今回はそれにちなんで、地雷やクラスター爆弾、小型武器などの軍縮、すぐにも人の命を救うことにつながる軍縮の話をしましょう。
対人地雷は、地中に埋められ、人や動物が踏むと爆発する爆弾です。いったん埋められると、敵味方、兵士と市民の区別なく人を傷つけるだけではありません。その土地で農業もできなくなりますし、紛争が終わっても復興に取り掛かることができず、長い間にわたって社会に大きな問題を与えます。
1990年代の初めには、少なくとも55か国が50万~100万個の地雷を製造し、そのうち36か国が地雷の輸出国でした。90年代半ばには、65か国に約6000万個の地雷が埋められ、年間2万4000人の被害者を出していたと言われています。
5000万の地雷を破棄
対人地雷を完全に禁止する条約は、市民の運動でつくられました。紛争地で活動するNGO(非政府組織)が、この兵器の被害の深刻さを訴え、アメリカやヨーロッパの市民団体が92年に「地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)」を設立しました。運動は世界に広がり、カナダ、ベルギー、ノルウェー、スウェーデンなどの国々が交渉をリードしました。交渉は97年10月にカナダのオタワで始まり、12月には地雷の使用、開発、生産、貯蔵や移譲などを全面的に禁止する条約ができ、99年3月に実施されました。現在条約に入っている国は、日本を含め164か国です。
アメリカや中国、ロシアなど条約に入っていない国がまだ32か国あります。でも、条約ができたことで地雷の禁止は世界の多くの国が認める規範(守るべきルール)となり、入っていない国にも影響を及ぼしています。例えばエジプト、ネパール、イスラエル、アメリカなど条約に入っていない国も地雷の生産をやめました。条約に入った国々は5000万個以上の地雷を破棄しました。かつて地雷問題の解決には天文学的な時間と費用がかかると言われていましたが、オタワ条約ができて大きく進みました。多くの人命を救っただけでなく、犠牲者の社会復帰への支援も強化されました。
2010年には、オタワ条約と同じような流れで、各国のNGOと一部の国々が協力し「クラスター爆弾禁止条約(通称オスロ条約)」ができました。クラスター爆弾は本体に数個から数百個の子爆弾が入った爆弾で、落とされると空中で子爆弾をばらまきます。それは広範囲に広がり、犠牲者の98%が子どもを含む民間人だと言われます。
銃なども規制
そして、人命を救う軍縮のもう一つの例が小型武器の規制です。小型武器には、銃などの小火器と、それよりやや大型で重い軽火器があります。現在、世界には10億もの小型武器があると言われています。実はその85%が市民や民間組織の手にあり、そのうち80%以上が、法に違反して所有されているとみられています。紛争や犯罪で使用され、1年間に平均で21万人以上の命が失われています。02年に国連の事務総長は小型武器は「事実上の大量破壊兵器」だ、と述べています。
国連では、日本政府の提案でできた専門家グループが1997年に報告書を提出。2001年に「国連小型武器行動計画」が全会一致で決定されました。行動計画は条約ではありませんが、各国が小型武器の製造や輸出入に関する法律を整え、非合法な取引を規制することなどが合意されました。
私たちはさらに、各国が自主的に達成目標を作ることを勧めました。そして途上国を支援するため、国連として特別な基金もつくりました。すでに日本やニュージーランドが資金を出し、他の国々も協力を申し出てくれています。
あまりニュースにはならない地道な努力ですが、多くの人命を救うこのような軍縮活動が、とても大切だと私は思っています。
中満泉さん[国連事務次長]
1963年生まれ。アメリカの大学院を経て89年に国連入り。難民保護や国連平和維持活動、核兵器禁止条約の採択などのために働いてきた。著書に児童書「危機の現場に立つ」など。