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戦後75年・名作の風景

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戦後75年・名作の風景

ガラスのうさぎ/下(その2止) つながる平和への願い 「第二の悲劇」の地 神奈川・二宮の小学生

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二宮駅前に建つ「ガラスのうさぎ」像=神奈川県二宮町で
二宮駅前に建つ「ガラスのうさぎ」像=神奈川県二宮町で
「ガラスのうさぎ像平和と友情のつどい」で講演した高木敏子さん=2019年8月6日、神奈川県二宮町提供
「ガラスのうさぎ像平和と友情のつどい」で講演した高木敏子さん=2019年8月6日、神奈川県二宮町提供
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 =1めんからつづく

 「ガラスのうさぎ」の主人公しゅじんこう敏子としこは、東京大空襲とうきょうだいくうしゅうでおかあさんといもうとふたりうしなったのち、「だい悲劇ひげき」におそわれました。1945ねんがついつか神奈川県二宮町かながわけんにのみやまちにある二宮駅にのみやえきでおとうさんがアメリカぐん機関銃きかんじゅうにうたれてくなりました。二宮町にのみやまちでは、二度にど戦争せんそうをくりかえさないようにする活動かつどうつづいています。

 東京とうきょうまれそだった12さい敏子としこは、二宮町にのみやまちいのいえ疎開そかいしていました。おとうさんは新潟にいがたさい疎開そかいするために敏子としこむかえにていました。8がついつか終戦しゅうせんの10日前とおかまえで、一緒いっしょにいた敏子としこまえでおとうさんをくしたのです。敏子としこ地元じもとひとたすけられながら、おとうさんの遺体いたい火葬かそうしました。一時いちじ希望きぼううしないそうになりましたが、たくましくきていきました。

 平和へいわのとうとさを後世こうせいつたえ、敏子としこささえたひとたちの友情ゆうじょうをたたえようと、二宮駅にのみやえきまえには1981ねん敏子としこをモデルにした「ガラスのうさぎ」ぞうてられました。まいとしがつには「ガラスのうさぎぞう平和へいわ友情ゆうじょうのつどい」がひらかれています。町内ちょうない小学生しょうがくせい中学校ちゅうがっこう高校こうこう生徒せいとによる朗読ろうどく合唱がっしょうおこなわれています。さくねん作者さくしゃ高木敏子たかぎとしこさん(87)が講演こうえんしました。

おやから史実しじつ

 さくねんのつどいに参加さんかした町立ちょうりつ一色小学校いっしきしょうがっこうねん岩本いわもと桃子ももこさん(12)は、「はは二宮駅にのみやえきったとき戦争せんそうちゅうにこのえきでうたれてくなったひとがいるときました。実際じっさいにこういう経験けいけんをした高木敏子たかぎとしこさんたちは、すごいくるしみを体験たいけんされたのだとかんじました」といます。

 担任たんにん先生せんせい鈴木絵理すずきえりさんによると、学校がっこう授業じゅぎょうでは戦争せんそうかなしさだけでなく、なぜ戦争せんそうきてしまったのかや戦争せんそうちゅう人々ひとびとらしなどをしっかりおしえているそうです。戦後せんごにつくられた憲法けんぽうで、平和主義へいわしゅぎおおきなはしらになっていることもつたえています。

はないで解決かいけつ

 いま小学生しょうがくせいにとって、戦争せんそうとはどういうものなのでしょうか。岩本いわもとさんはちいさいころ、おとうさんに「戦争せんそうってなに?」といたところ、「くに同士どうしおおきなけんかだ」とおしえられたそうです。どもがけんかしたときはないで解決かいけつすることから、岩本いわもとさんは「世界せかい国々くにぐに平和へいわであるためには、武力ぶりょく使つかうのではなく、はないで解決かいけつするのが大切たいせつ」とうったえます。

 つどいに参加さんかした一色いっしきしょうねん田中たなか利奈りなさん(12)は「わたしたちは平和へいわくににいるから、戦争せんそうかなしさとかこわさとかをかんがえる時間じかんすくなすぎるとおもいます。つどいが、これからもずっと戦争せんそうのおそろしさをつたえていく大切たいせつなイベントであってほしいです」とはなしました。作品さくひんめられた平和へいわへのねがいは、二宮町にのみやまち次世代じせだいへと確実かくじつにつながっています。【木谷きたに朋子ともこ

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