岩手県山田町のカキ養殖イカダ=岩手県山田町で2月28日午後0時半
「編集長、読んでみてください」。毎小編集部の篠口純子記者が、便せんを手に私のところにやってきました。
◇◆ ◆◇
「校舎に吹く海風も日増しに暖かく感じられるこの頃です。毎日小学生新聞のみなさんは、日々忙しくご活躍のことと思います」
差出人は、岩手県山田町立大沢小学校5年、福士怜さん。
大沢小といえば! そう、1面の連載「伝えつづけた 大沢小 学校新聞」のあの大沢小です。
大沢小への取材は、2011年にさかのぼります。04年に創刊された大沢小の学校新聞「海よ光れ」は、全国小・中学校・PTA新聞コンクールの上位入賞を重ねていました。新聞で伝えたいことや取材方法、まとめ方を全員が考え、「今必要な記事はどれか」「知らせることでどんな効果があるか」を議論して作る、実に充実した新聞でした。
篠口記者はその取材で大沢小を訪れ、東京での表彰式も取材。その6日後、3月11日、東日本大震災の大津波が山田町を襲いました。
みんな無事なの……心配する篠口記者に、学校新聞担当の佐藤はるみ先生から「全員無事!」と電話があったのは3月22日だったそうです。
ただ、多くの児童の家が津波で流され、家族が亡くなった人もたくさんいました。つらい思いのなか、子どもたちは「海よ光れ」を作り、町の人々にも配り続けました。毎小では、子どもたちが自分の言葉で被災を記録する「震災日記」が始まりました。
3月11日 午後2時46分、まったくゆれがおさまらず、家族が心配になった。しばらくして津波が来た。わたしはその時、しんでしまうのかも……そう思った。
3月25日 お父さんらしき人が消防署の方で見つかったということでした。(お父さんの)顔をさわってみると、水より冷たくなっていました。
日記は14年まで続き、担当の篠口記者は、その後も何度も取材に行っています。
手紙の続きです。
「ぼくは4年生の時、新聞委員会に入り、『海よ光れ』を作りました。読んだ人に気持ちを伝える新聞作りをがんばる先輩たちの姿にあこがれ、ぼくもやってみたいと思いました。ますます新聞作りが好きになりました。
大沢小学校は今月で閉校します。ぼくたちは新しい学校に行くことになります。学校新聞『海よ光れ』はもうなくなってしまうかもしれません。16年間の大沢小の新聞作りの歴史が終わってしまうのはとても悲しいです。でも新聞作りで学んだことはたくさんあります。ぼくたちは新聞作りで身についた力をこれからも生かしていきます。最後まで大沢小を応援してくださったことを心から感謝しています」
福士さん、私たちも大沢小を取材し、新聞をつくって学んだことがあります。それはみなさんの強さと誠実さです。山田町の海と同じぐらい、それは輝いています。
これまでありがとうございました。そして、これからもどうぞよろしくね。【編集長・太田阿利佐】