たくさんの朱色の鳥居が建ち並び、幻想的な雰囲気が人気の伏見稲荷神社=京都市伏見区で
マンガの「鬼滅の刃」が終わったことがニュースになっていました。大人気で、最新刊20巻までの発行部数は合計でなんと6000万部にもなるそうです。実は、編集長も読んでいました。「なかまあつまれ」の投稿でもよく出てきたので、すごく気になっていたのです。
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マンガの舞台は大正時代(1912~26年)の初め。主人公の少年、炭治郎の家族は「鬼」に殺され、不思議なことに妹も「鬼」になってしまいます。炭治郎は鬼を退治しながら、妹を人間に戻す方法を探すという物語です。
戦いの場面は怖くて、私はあまり好きではありません。でも炭治郎の仲間--臆病者で女の子に弱い善逸や、やたら猪突猛進する伊之助--の出てくるシーンは大好き。戦いに向かう伊之助が「腹が減るぜ!」と叫び、善逸が「腕が鳴るだろ」と言うところなど、大笑いしてしまいました。
炭治郎がただ敵をやっつけるのではなく、「好きで鬼になったんじゃないかも」と、哀れに思うところも印象的でした。炭治郎は敵の立場に立って、想像する力があるんですね。
読んでいて、馬場あき子さんが書いた「鬼の研究」という本を思い出しました。
馬場さんは和歌をつくる歌人です。古典文学をたくさん読み、鬼は強くて恐ろしいのに常に「滅びる側」だと気づきます。そして鬼とは何かを研究したのです。夜中に都大路を歩き回る百鬼夜行や、空を飛ぶテング……鬼たちはどこから来たのか、と。もちろん鬼は本当はいません。だからこれは「鬼を想像した昔の人の心」の研究です。
この本によると、奈良時代、平安時代の鬼は、天皇や貴族などの権力に抵抗し、反逆する存在でした。ひどい目にあわされても抵抗できない弱い立場の者が、鬼になって強い者に復しゅうする。だから女の人もよく鬼になりました。鬼が出る、という話は、権力を持つ者への警告でした。
江戸時代になると幕府に力が集中し、反逆者、つまり鬼も現れなくなると馬場さんは書きます。幕府が「権力の鬼」になり、代わりに幽霊が登場します。「鬼は人を襲ったりするけれど、幽霊は何もしない。柳の下にぼーっと立っている。でも、出ることによって相手の良心に訴えたのね」。以前取材した時、馬場さんはそう説明してくれました。良心があるからこそ幽霊は怖いんですね。
どんな時代、どんな社会でも、たくさんの人を引きつける物語には、必ずその理由があります。「鬼滅の刃」が多くの子どもたち--つまりみなさん--の心をとらえる理由はなんでしょうか。
人気の本を読み直し、その魅力をじっくり考えたり、友だちと話し合ったりしてみてはどうでしょう。そこから「時代」が見えてくるかもしれません。【編集長・太田阿利佐】