連載

戦後75年・名作の風景

毎日新聞デジタルの「戦後75年・名作の風景」ページです。最新のニュース、記事をまとめています。

連載一覧

戦後75年・名作の風景

太陽の子 報道写真家・石川文洋さん 沖縄の命つなぎたい

  • はてなブックマーク
  • メール
  • 印刷
関係者から手渡された花束を抱える石川文洋さん=那覇市で2019年6月
関係者から手渡された花束を抱える石川文洋さん=那覇市で2019年6月
「太陽の子」を書いた灰谷健次郎さん 拡大
「太陽の子」を書いた灰谷健次郎さん
灰谷健次郎・作/田畑精一・画「太陽の子」(理論社フォア文庫版) 拡大
灰谷健次郎・作/田畑精一・画「太陽の子」(理論社フォア文庫版)
拡大

 23にちは、第二次世界大戦だいにじせかいたいせん沖縄戦おきなわせんなどで犠牲ぎせいになったひとたちをいたむ「慰霊いれい」です。作家さっか灰谷健次郎はいたにけんじろうさん(1934~2006ねん)の小説しょうせつ太陽たいよう」は、沖縄戦おきなわせん戦後せんご人々ひとびとらしにもくらかげとしつづけてきた様子ようすえがいています。灰谷はいたにさんとしたしかった沖縄県おきなわけん出身しゅっしん報道写真ほうどうしゃしん石川文洋いしかわぶんようさん(82)は「沖縄おきなわのことがよくかる作品さくひんなので、おおくのひとんでほしい」とかたります。

 「太陽たいよう」の舞台ぶたいは、兵庫県神戸市ひょうごけんこうべし下町したまちにある琉球りゅうきゅう料理店りょうりてん「てだのふあ・おきなわてい」です。主人公しゅじんこう小学しょうがくねんせいおんな、ふうちゃんの両親りょうしんいとなみせには、沖縄県おきなわけん出身しゅっしんはたら大人おとなたちがあつまってきます。おとうさんにはこころ病気びょうきがあり、ふうちゃんはその原因げんいん沖縄戦おきなわせんのつらい体験たいけんにあると気付きづはじめ、まわりの大人おとなたちをつうじて沖縄おきなわについてのまなびをふかめていきます。

 著者ちょしゃ灰谷はいたにさんは神戸市こうべしまれそだち、小学校しょうがっこう先生せんせいを17ねんかんつとめたのち沖縄おきなわやアジアをわたりあるき、作家さっかみちすすみました。「太陽たいよう」は1978ねん出版しゅっぱんしました。

いのちうしなどもたち

 石川いしかわさんは沖縄県那覇市おきなわけんなはし出身しゅっしんですが、45ねん沖縄戦おきなわせんとき千葉県船橋市ちばけんふなばしし国民学校こくみんがっこういま小学校しょうがっこう)にかよっていて、学校がっこうにいた軍人ぐんじんから沖縄おきなわ玉砕ぎょくさい全滅ぜんめつすること)をらされました。60~70ねんだいにアメリカがベトナムでたたかったベトナム戦争せんそうなどを取材しゅざい各地かくち戦場せんじょうどもやおやたちがんでいくのをてきただけに、「太陽たいよう」をんで、どもたちが沖縄戦おきなわせんいのちうしなったことにおもいをかさねました。

 「てだのふあ・おきなわてい」の常連客じょうれんきゃく一人ひとりに、ろくさんがいます。ろくさんには左手ひだりてがありません。日本にっぽん兵隊へいたいしゅりゅうだんわたされ、みずかいのちつ「集団自決しゅうだんじけつ」をこころみてばされました。

 べつ常連客じょうれんきゃくせいねんギッチョンチョンは、ふうちゃんに沖縄戦おきなわせん歴史れきしかたかせながら、さとしました。「ヤマトー(本土ほんど)のやつは、いつだって沖縄おきなわ見殺みごろしにして、自分じぶんだけあましるいよる。むかしからずっとそうや。いまだってそうや。これからもそうや」

戦争せんそう本質ほんしつって

 アメリカは戦後せんごの72ねんまで沖縄おきなわ占領せんりょうつづけ、いま全国ぜんこくのアメリカぐん専用せんよう施設しせつのおよそ7わり沖縄おきなわあつまっています。石川いしかわさんは2018ねんがつから19ねんがつ北海道ほっかいどうから沖縄おきなわまで「あるきたび」をして、「基地きちのない平和へいわ沖縄おきなわを」とうったえました。

 「太陽たいよう」をかえした石川いしかわさんは、こうおもいます。「戦争せんそうではのこってこそ次世代じせだいいのちをつないでいける。灰谷はいたにさんには、いのちをつなぐことの大切たいせつさをつたえたい気持きもちがありました。本土ほんどひと沖縄おきなわわかひと日本にっぽん戦争せんそう本質ほんしつり、いま問題もんだいかんがえてほしい」【木村健二きむらけんじ

あわせて読みたい