未来をひらく記憶
今年は広島と長崎に原爆が投下されて75年の大切な節目の年です。国連からはグテレス事務総長が広島での式典に参加する予定でした。しかし新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)による入国制限のため、断念しなければなりませんでした。75年の重要な式典に、75年前の設立以来一貫して核兵器廃絶を重要な課題として掲げてきた国連から誰も出席しないわけにはいきません。私は、アメリカを出る前にPCR検査を受けて陰性を確認し、さらに入国後2週間の自主隔離をした後、広島・長崎での式典に事務総長の代理として参列しました。久しぶりに、約1か月も日本に滞在することになりました。
日本にとっては終戦75年でもあり、多くの特別番組が放送されていて、私も見ることができました。例えば、印象的ないくつかのドラマや、高校生と戦争について語り合う番組、女優の綾瀬はるかさんが戦争体験者から話を聞く番組、そして第二次世界大戦中のヨーロッパで起こった、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)についてのドキュメンタリー番組など。私自身も、今年も広島と長崎で被爆者の方々だけでなく、多くの若者たちと会い、被爆体験の継承や軍縮と平和の問題について語り合う機会がありました。実家で自主隔離期間中には、母を手伝って家の片付けをしていて、戦前からの古い家族の写真がたくさん出てきました。家族や日本、そして世界の「歴史」と「記憶」について考え、私たちはどこから来たのか、そしてどこに行くのかを考える夏になりました。
「アンネの日記」
私の人生で強い影響を受けた本に、小学生のころに読んだ「アンネの日記」があります。アンネというユダヤ人少女の隠れ家での困難ながらも生き生きとした日常が、ホロコーストという人類史上最も恐ろしい犯罪について深く考えさせてくれたからです。広島と長崎の被爆者たちは、それぞれのつらい体験を語ることによって、核兵器禁止条約をつくる大きな原動力となりました。私たちが「歴史」を勉強するとき、戦争の犠牲者が「何万人、何十万人」と聞いても、もしかすると心には残らないかもしれません。でも、一人一人の名前と顔とストーリーを知るとき、それらは心に残り、私たちの考え方や人生に影響を残すと思います。そして、過去の教訓を自分のものとして考え、より良い現在と未来のために生かそう、という強い動機になるのでしょう。つまり、歴史や過去の記憶は、私たちの未来につながっているのです。
平和をつくるには
国連で私の担当する軍縮分野には、平均年齢が83歳を超えた被爆者の方々の体験をどう継承していくのか、という課題があります。今回、広島や長崎でいろいろな方法で、これに取り組む若い人たちに会うことができ、とても勇気づけられました。例えば被爆者の「継承者」になって体験を語る活動をしている人。世界中から広島や長崎をバーチャルに訪問できるアプリを開発している若者。私も、多くの人に被爆地を訪問してほしいと願っています。
ずっと昔、田中角栄元首相が「戦争を知る世代が政治の第一線にいる間は大丈夫」と言ったそうです。終戦から75年後の今日、私たちは戦争を知らずに「大丈夫」を続けていかなければなりません。
「他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから『平和』ははじまるのではないだろうか。(略)『平和』は人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」。あるきっかけで出合ったこの一文に、私は強く共感しました。今は大学生の女性が、中学の卒業文集に、広島への修学旅行について書いたものです。
みなさんは、どう「平和」を作っていきますか?
中満泉さん[国連事務次長]
1963年生まれ。アメリカの大学院を経て89年に国連入り。難民保護や国連平和維持活動、核兵器禁止条約の採択などのために働いてきた。著書に児童書「危機の現場に立つ」など。