江戸時代(えどじだい)の弘化(こうか)5(1848)年(ねん)刊行(かんこう)の「紋(もん)切(きり)形(がた)二(に)編(へん)」には、紋(もん)の描(か)き方(かた)のほか、紙切(かみき)り遊(あそ)び(紋(もん)切(きり)形(がた))の型紙(かたがみ)などが載(の)っています=国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん)デジタルコレクションより
みなさんは自分の家の「家紋」を知っていますか? 家紋というのは、それぞれの家にある、独自のマークのようなもので、日本のほとんどの家(家族)は、何かしらの家紋を持ち、一族の証しとして使い続けてきました。自分の家紋が分からない人は、家族の誰かに聞いてみてください。家の中で見かけることは少なくなりましたが、お墓など、ご先祖を祭る場所に行くと大抵、この模様が刻んであります。それがあなたの家紋です。
反物(たんもの)に鶴(つる)の家紋(かもん)を墨(すみ)で描(か)く紋章(もんしょう)上絵(うわえ)師(し)の波戸場(はとば)承(しょう)龍(りゅう)さん
この家紋を今に伝える仕事をしている人がいます。東京・上野の近くに工房「京源」を開く波戸場承龍さん(63)、耀次さん(36)親子です。着物に「家紋」を描く「紋章上絵師」というのが、正式な職業の名前です。
■庶民が活用
平安後期(11世紀後半~12世紀末)から使われていたといわれる家紋ですが、本格的に広がったのが江戸時代でした。武士階級には名字(姓)が許されていましたが、一般庶民は公的には名前だけ。しかし、家紋は自由に使えました。当時の日本人の服装は、すべてが着物です。武士の正装である「紋付き袴」には、名前の通り家紋が付いていましたし、商人は店のロゴマークとして多用しました。庶民でも気楽に自分の服や持ち物に家紋を入れることができたのです。
家紋(かもん)の技法(ぎほう)を応用(おうよう)し、パソコンで描(か)いた「座(すわ)り馬(うま)紋(もん)」
「文字の読み書きもできなかった庶民にとって、将軍や大名が持つ家紋はあこがれであり、ステータスだったのでしょう。あつらえ品(特注品)には家紋を入れ、それが自分のものだという目印でもあったのです」と承龍さん。紋章上絵師の「上絵」とは着物に紋を描き入れることで、本来は「下絵」に対し「仕上げの絵」を意味します。家紋を入れる上絵師は、その一品を「わが家のもの」に「仕上げる絵師」といえます。
■核家族化で衰退
画面(がめん)を切(き)り替(か)えると大小(だいしょう)さまざまな円(えん)だけで馬(うま)を描(か)いているのがわかります。円(えん)の数(かず)は約(やく)250個(こ)だそうです
かつてはどこの町にもいた職人でしたが、明治時代になり、西洋文化が入って人々が着物を着なくなったことで、家紋の使用もぐんと減ってしまいました。第二次世界大戦後は家制度もなくなり、核家族化が進むとともに「○○家」という考えも薄らぎます。昭和40年代(1965~74年)になるとシルクスクリーンの印刷技術が着物にも使われるようになり、今では手描きで家紋を入れる職人は全国でもわずかに残るのみとなりました。
■円と直線だけ
工房で実際に反物(着物用の布)に家紋を描く作業を見せてもらいました。筆のほか、使うのは「ぶんまわし」という和製コンパスと定規だけ。円と直線を描く二つの道具だけで、基本的にはどんな複雑な家紋も描けるそうです。それは、まさに江戸時代から続く伝統の意匠(デザイン)。細かな鶴の模様が「ぶんまわし」で正確に描かれていきました。「小学生でもコンパスと定規があれば、似たような作業はできますよ。やってみて」と承龍さん。
「ぶんまわし」で描(えが)く弧(こ)の一筋(ひとすじ)が、鶴(つる)の紋(もん)を形作(かたちづく)っていきます
■世界へ羽ばたく源
波戸場さん親子は近年、この伝統の技法を現代風にアレンジしたいろいろな作品を積極的に作り続けています。衣装や建築物の壁に家紋をアレンジしてデザインしたり、家紋を使ったレーザーショーを演出したり。最先端の西洋のファッションショーの衣装に使われたデザインのもとが家紋だと知ると、日本人として誇らしくなります。
「家紋には現代のデザイン感覚にも通じる、独特な間の取り方があります。実に豊かで奥が深いです。この美しい形を眠らせることなく、現代の生活の中に落とし込んでいく。それが僕たちの仕事だと思っています」と耀次さん。
1000年以上続く日本伝統の意匠は、今や世界へと羽ばたく新しいデザインの源でもあるのです。【文・森忠彦、写真・佐々木順一】
紋(もん)を描(か)く道具(どうぐ)。手前(てまえ)から竹製(たけせい)のコンパス「ぶんまわし」、溝(みぞ)引(ひ)き定規(じょうぎ)、ガラス棒(ぼう)、極細(ごくぼそ)の筆(ふで)
二つの道具であらゆる縁
家紋は、竹でできた和製コンパス「ぶんまわし」で、半径を調整しながらすべての曲線を描きます。竹製のぶんまわしは今はもう作る職人がいないそうです。直線に使うのは「溝引き定規」。筆とガラス棒を一緒に持ち、定規の溝にガラス棒を当てスライドすると、定規から離れた場所にきれいな直線が引けます。筆も独特で、穂先の毛は硬く、昔はネズミの、今はイタチの毛を使っています。
■家紋あれこれ
●平安時代 藤原氏
②植物紋(しょくぶつもん)「下(さが)り藤(ふじ)」
日本で家紋が広がったのは平安時代。貴族の中心に君臨した藤原氏はその数が増えたため、近衛や九条などに枝分かれし、その際、自分の家のマークとして藤や牡丹などを基にした独自の家紋を作っていきました。衣服や牛車などに家紋を描くことで、どの家に所属するかが区別できたためです。同じ藤や牡丹でも、分家になると微妙に違ったデザインが生まれ、種類が増えていきました。
③動物紋(どうぶつもん)「揚羽蝶(あげはちょう)」
●5万種以上!? 犬猫はなし
承龍さんによると家紋は「5万種類以上はあるようです」。主なモチーフは300~400種類。(1)月や星などの「天文・地文紋」、(2)草木を描いた「植物紋」、(3)鳥獣や昆虫などの「動物紋」、(4)武具などの道具や食器をかたどった「器材紋」、(5)さまざまな文様を取り入れた「文様紋」――などに分類できます。最も多いのが植物紋で、次が器材紋。動物でも馬やウサギ、ニワトリ、竜、エビ、カニなどはありますが、なぜか犬や猫、牛、ネズミ、魚類はないそうです。
●戦国武将
歴史好きの人にとって身近なのが戦国武将の家紋でしょう。織田信長の「織田瓜」、豊臣秀吉の「五七桐」、徳川家康の「三葉葵」、上杉謙信の「竹に二羽飛び雀」、武田信玄の「四割菱」、明智光秀の「桔梗」、石田三成の「大一大万大吉」、伊達政宗の「竹に雀」、真田幸村の「六文銭」などが有名です。関ケ原や大坂の陣など、武将が密集した戦場では、家紋を描いたのぼり旗によって誰の陣かが分かる目印となったのです。
承(しょう)龍(りゅう)さん監(かん)修(しゅう)の工作(こうさく)セット「紋(もん)切(きり)形(がた)」。20種(しゅ)の紋(もん)が作(つく)れます
◆江戸の粋な紙遊び「紋切形」
家紋をどの家でも持つようになった江戸時代、人々に親しまれた紙切り遊びが「紋切形」です。紙を折り、型紙の通りに切り抜くと、家紋の形になります。弘化5(1848)年に発行された本「紋切形二編」には折り方や切り方が紹介されています。「簡単な作業で複雑な形ができあがる紋切形は、とてもクリエーティブ。子どもから大人まで夢中になりますよ」と承龍さん。
京源のサイトhttp://www.kyogen-kamon.com/
●京源
http://www.kyogen−kamon.com/
紋章(もんしょう)上絵(うわえ)師(し)の波戸場承龍(はとばしょうりゅう)さん(左(ひだり))、耀次(ようじ)さん親子(おやこ)
本業は「紋章上絵師」として着物に家紋を描く仕事ですが、最近は家紋をモチーフにしたデザイン作成が中心とか。「海外向けにはデザイナー、アーティストとして紹介されることが多いですね」と耀次さん。NHKのEテレの番組「デザインあ」では「もん」のコーナーで制作・監修。東京・東上野にある工房には、大きなパソコンが置かれ、デザイン事務所のような雰囲気です。ウェブサイトでは、家紋が描けるワークシートや描く工程の動画を見ることができます。
次回の「江戸東京見本帳」は11月24日(一部地域は25日)に掲載します。
協力:江戸東京きらりプロジェクト