鮫島純子さん=東京都内で2019年12月12日、大島祥平撮影
渋沢栄一の孫で、エッセイストの鮫島純子さん(98)にどんな人だったか、聞きました。【大島祥平】
おじいさんが亡くなった時、私は9歳でした。かわいがってもらったことをよく覚えています。
家を訪れると「よう来られましたの」と頭をなでてくれ、アメを口に入れてくれました。「勉強になるから」と落語全集を読ませてもらい、孫の私たちが「寿限無」(落語の演目)を披露したこともあります。
みんなが幸せな社会
孫だからかわいがるというより、人類を愛した人でした。「日本資本主義の父」などと言われますが、根っこにあるのは「みんなが幸せと感じる世の中を作る」という思いでした。そのために会社を作ったり、教育や福祉の事業を応援したりしたのだと思います。
戦前、アメリカとの関係をよくしたいと、年老いた体で何度もアメリカに行きました。平和への思いが強い人でした。
小学生のみなさんが、おじいさんのそんな思いを知り、愛や平和について考えてもらえたらうれしいです。