今年3月11日で東日本大震災の発生から、ちょうど10年となります。今、小学校で学んでいるみなさんはこの震災の時にまだ生まれていなかったか、幼い時の出来事であまり記憶がない人がほとんどでしょう。教科ごとに震災や防災を学ぶシリーズ「『あの日』に学ぶ」を始めます。1回目は「社会<上>~震災って何?」です。【百武信幸】
東日本大震災は、学年末が近づく2011年3月11日に起きました。下校する時刻の前後にあたる午後2時46分。激しいゆれの後、がれきを巻き込んだ真っ黒い津波が東北沿岸などをおそいました。
津波は高いところでビルの10階以上に相当する40メートルに達し、街をまるごとのみ込みました。家や車、木々などは流され、多くの人がおぼれて亡くなったのです。津波で命を失ったケースのみならず、震災後、避難中に体調をくずす「関連死」も発生しました。
津波で海に流されるなどして今も見つかっていない「行方不明者」も合わせると、震災の犠牲者は全国で2万2000人以上に達します。国の統計によると、震災で亡くなった子どもは少なくとも0~9歳は466人、10~19歳は419人いました。
わが子を捜し続け
一方、震災から10年近くたった今も、行方不明の家族を捜し続ける人たちがいます。宮城県石巻市立大川小学校では、児童108人のうち70人が亡くなり、4人が行方不明のままです。4年生だった長女巴那さんをさがす鈴木実穂さん(52)は「見つけてあげられなくてごめんね」と心の中で謝りながら、捜索に足を運び続けています。
東日本大震災の大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市門脇町や南浜町の市街地=2011年3月21日、森田剛史撮影
復興とは何か
震災以降、国は被災地の「復興」を掲げて街づくりを進めてきました。津波で家を失った人のための復興住宅が完成し、大規模な津波に備えた防潮堤が新たに築かれました。しかし、震災で取り戻せなくなった景色もあります。
昨年末の宮城県石巻市南浜・門脇地区。石巻南浜津波復興祈念公園などの整備が進められている=宮城県石巻市で2020年12月21日、和田大典撮影
大川小のある大川地区は北上川の河口に近く、大きなカキやシジミが取れる自然豊かな土地です。震災後に別の学校に間借りし、高台での再建を目指した大川小は、地域の子どもの数が減ったことから18年で閉校してしまいました。「学校は地域の中心で、子どもは地域の未来。どちらもなくなれば地域は消えてしまう」となげくお年寄りもいます。
若い世代や子どもがいなくなると、地域で受け継がれてきたお祭りなどの伝統行事が途絶えてしまいかねません。震災で東京電力福島第1原子力発電所(福島県大熊町、双葉町)が爆発した事故の被災地では、放射線の値が高く、住民が帰れない場所が今もあります。
ある被災地の若者は「『復興したかどうか』という問いは外から見た物差しにすぎない」といいます。この若者は「復興」という言葉にとらわれず、かつてあった景色や日常を少しでも多くの人に伝えることで震災を語り継いでいきたいといいます。本当の復興とは一体、何でしょうか。被災地の声に心を傾け、考えてみてください。<イラスト・にしむらかえ>=2面につづく