宝船(たからぶね)に見立(みた)てた、よし田(だ)の「宝船熊手(たからぶねくまで)」
朝夕めっきり冷え込むようになりました。サクラやイチョウの葉が地面を覆うこの季節、落ち葉かきで目にするのは、竹でできた、大きな手のような道具です。「熊手」と言います。
掃除用の熊手が集めるのは落ち葉ですが、「縁起物」の熊手がかき込むのは「福」や「運」。「かっこめ(かき込む)」や「はっこめ(掃き込む)」とも呼ばれる縁起熊手は、七福神といった伝統的な縁起物から今どきの人気キャラクターまで、おめでたいものづくしで飾られ、各地で開かれる「酉の市」で売り出されます。
「江戸自慢(えどじまん)三十六興(さんじゅうろくきょう) 酉(とり)の丁(ちょう)銘物(めいぶつ)くまで」広重(ひろしげ)、豊国(とよくに)=国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん)デジタルアーカイブより
「商売繁盛、家内安全。みなさまの健康を祈ってー」
熊手の売り買いが丸く収まり皆の今後を祝う意味を込め、掛け声と、三三七拍子の拍手が響きます。この三本締めの「手締め」は、酉の市の名物です。昨年はコロナ禍の飛沫防止で掛け声は禁止になりましたが、一年に一度、お客は気も新たに熊手を買い替え、来年の酉の市まで自分の店や家でお札のように高い位置に飾ります。
鷲神社の酉の市
熊手(くまで)が並(なら)ぶ酉(とり)の市(いち)の露店(ろてん)の一つ。売(う)れるたび、威勢(いせい)のいい掛(か)け声(ごえ)と、祝(いわ)いの手締(てじ)めが響(ひび)きます=鷲神社(おおとりじんじゃ)の酉(とり)の市(いち)で、2014年(ねん)撮影(さつえい)
東京・浅草の外れにある「鷲神社」では霜月11月の頃、江戸の町に年の瀬の到来を告げる「酉の市」が開かれます。今年は、11月9日の「一の酉」と、21日の「二の酉」の2回です。江戸時代に始まり、途絶えることなく酉の市が続くのは2か所だけ。そのうちの一つが鷲神社で最大規模を誇ります。当日は、約160もの熊手店が所狭しと露店を構え、うちわほどの手ごろなものや、オフィスに飾る巨大なものまで、露店内を埋め尽くします。普段はビルに埋もれて目立たない鷲神社の境内が、熊手で迷路のようになります。
熊手の形や「おもちゃ」と呼ばれる飾り物も店によってさまざま。毎年、流行を取り入れた熊手が話題を呼ぶ一方で、昔から伝わる素材と手法を守り続ける店もあります。神社近くに工房を構える「宝船熊手・よし田」です。
すべて手描き
七福神や宝船、鯛、小判、巾着、蓑笠など、竹串に絵柄の紙を張ったおもちゃは、一つ一つが手作り。紙の型抜き、竹串にのり付け、輪郭を描く「筋描き」や、鮮やかな色絵の具による絵付けまで、分業しながら完成させていきます。訪れたこの日も5人の女性が「唐子さん」を一つ一つていねいに筆で描いていました。
宝船(たからぶね)の帆(ほ)を背(せ)におもちゃを土台(どだい)に配置(はいち)していく4代目(だいめ)の吉田京子(よしだきょうこ)さん。この宝船熊手(たからぶねくまで)は五寸(ごすん)の大(おお)きさ
「赤物」とも呼ばれるよし田の熊手は、赤が際立ち明るく華やか。4代目の吉田京子さん(64)は「縁起物ですからね。七福神もにっこりと笑ったようなお顔に仕上げます」。柔らかで愛嬌のある面相は、確かに見る人を笑顔にします。最初は先代から伝わる見本を見ながら、やがては見ないでも、伝来の絵柄が描けるようになるのだそうです。
門松を再利用
青竹(あおだけ)を切(き)り持(も)ち手(て)に。手(て)のひらのような「爪(つめ)」と合体(がったい)し土台(どだい)を作(つく)ります
熊手作りは一年がかりです。酉の市が終わると、翌年の秋に向けた作業が始まります。
新年の仕事はまず、竹割りから。門松に使われた縁起のいい竹を再利用して、熊手の爪やおもちゃの竹串用に加工し、乾燥させます。秋には熊手の土台になる青竹を適当な大きさに切り、手のひらのような「爪」とワラを取り付け、組み上げます。こうした力仕事は男衆の役割です。一方、一年を通してこつこつ作ってきたおもちゃは、切り出しナイフで竹串の先を削り、土台に差していきます。熊手の中心に据えるのは、お餅の形をした「お供え」です。これは神棚のような存在なのだそうです。中央に七福神、その他は左右対称になるようにおもちゃを配置します。
伝統守り唯一無二に
いろいろな大(おお)きさの宝船熊手(たからぶねくまで)。定番(ていばん)は二寸(にすん)、三寸(さんすん)、五寸(ごすん)、六寸(ろくすん)で、さらに一尺(いっしゃく)(写真(しゃしん)上(うえ))を超(こ)える特注品(とくちゅうひん)も。サイズの大(おお)きい物(もの)ではほかのおもちゃで隠(かく)れている「お餅(もち)」が、二寸(にすん)以下(いか)では表(おもて)に出(で)てきます
形もデザインも創業当時からできるだけ変えず、先代の手本を代々大切に受け継いできた宝船熊手・よし田。今では唯一無二の熊手になりました。一年をかけて作った熊手は、年に一度、鷲神社の酉の市の間だけ販売します。竹と紙とワラという材料もシンプルなら、売るのも年に一度、鷲神社のみという潔さです。
「うちの基本は昨年と同じものを作ることです。すべて手作り、手描きなので、作れる数には限界があります。毎年変わらない熊手を買い求めていただくお客さんに、年に一度会えるのが楽しみです」
午前0時、「どどーん」と鳴り響く一番太鼓を合図に鷲神社の酉の市は幕を開け、24時間後の午前0時まで昼夜途切れることなく続きます。熊手職人たちにとって、一年で最も忙しくて、でも待ち遠しい日が、間もなくやってきます。【文・森忠彦、写真・宮本明登】
●鷲神社
鷲神社(おおとりじんじゃ)は「なでおかめ」も有名(ゆうめい)。大(おお)きな「おかめ」の面(めん)をなでるとご利益(りやく)があるとされる。おかめは「青物(あおもの)」と呼(よ)ばれる種類(しゅるい)の熊手(くまで)では必須(ひっす)の飾(かざ)り物(もの)
祭神は天日鷲命と日本武尊。「おとりさま」の愛称で親しまれています。東国を征討した日本武尊が勝利のお礼に熊手をここに奉納したのが11月の酉の日だった――という伝説にちなんで開かれる「酉の市」は、江戸時代中ごろには行われていたという記録がありますが、現在のようなにぎやかな姿になったのは戦後になってからとされます。今年の酉の日は2回ですが、3回あるときは「三の酉」まで開かれます。
◆よし田
1937(昭和(しょうわ)12)年(ねん)の「酉(とり)の市(いち)」で
●「宝船熊手 よし田」
東京都台東区千束3の20の25
電話 03・3874・3096
https://www.facebook.com/asakusa.yoshida/
https://www.instagram.com/asakusa_yoshida/
高い所での作業を専門とする「とび職」だった初代が、空いた時間を使って熊手作りを始めたのが昭和の初め。その後、2代目・秀吉を経て、3代目の啓子さん、その娘で4代目の京子さん、5代目で京子さんの息子の忠彦さん(38)と引き継いできました。今年で100歳になった大女将の啓子さんは、酉の市でも「レジェンド的な存在」(京子さん)。その心意気は家族全員に引き継がれているようです。昨年は、コロナ禍で来場できない人向けに、事前予約で配送販売も。酉の市終了後に、市の熱気を吸った熊手を届けました。
次回の「江戸東京見本帳」は11月23日(一部地域は24日)に掲載します。ウェブサイト「TheMainichi」では連載の一部を英語で読めます。