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江戸東京見本帳

江戸時代からのものづくりの技と伝統を、記者が老舗の工房を訪ねて紹介します。組紐、ガラス細工、紅など……驚きの世界です。

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江戸東京見本帳

押絵羽子板 まるで3D浮世絵!

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「藤娘(ふじむすめ)」の押絵(おしえ)を板(いた)に取(と)り付(つ)ける西山鴻月(にしやまこうげつ)さん。着物(きもの)の柄(がら)には藤(ふじ)が描(えが)かれています
「藤娘(ふじむすめ)」の押絵(おしえ)を板(いた)に取(と)り付(つ)ける西山鴻月(にしやまこうげつ)さん。着物(きもの)の柄(がら)には藤(ふじ)が描(えが)かれています

 東京とうきょうスカイツリーのふもと。東京都墨田区向島とうきょうとすみだくむこうじまは、むかしから町工場まちこうばおお一帯いったいです。ほそ路地ろじあるくとちいさな工場こうば作業場さぎょうばがぽつりぽつりとあって、職人しょくにんたちがむかしながらの手法しゅほう大切たいせつにしながら、ものづくりをつづけています。

 「押絵おしえ羽子板はごいた」をつくる「羽子板はごいた鴻月こうげつ」もそのひとつです。江戸えどはじまった押絵おしえ羽子板はごいたつくかたは、基本的きほんてき当時とうじのまま。「男物おとこものであれば舞台ぶたいからしたような歌舞伎役者かぶきやくしゃのカッコいい姿すがたを、女物おんなものであれば、おんな元気げんきそだちますようにというねがいをめてうつくしく。それがうちの押絵おしえ羽子板はごいた基本きほんです」

 このみち40ねんむかえた2代目だいめ西山にしやま鴻月こうげつさん(59)が、そう説明せつめいしてくれました。

歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)「矢(や)の根(ね)」の曽我五郎(そがのごろう) 拡大
歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)「矢(や)の根(ね)」の曽我五郎(そがのごろう)

歌舞伎人気かぶきにんきで“グッズ販売はんばい

 押絵おしえ羽子板はごいた考案こうあんされたのは、江戸時代えどじだい後期こうき文化ぶんか文政ぶんせい時代じだい(1804~30ねん)とされます。当時とうじ人気にんき歌舞伎役者かぶきやくしゃを「押絵おしえ」にし、羽子板はごいたにつけてしたところだいヒット。江戸版えどばん歌舞伎かぶきグッズ販売はんばいといえそうです。

 「押絵おしえ」とは、厚紙あつがみなどにぬのったり綿わたぬのでくるんだりしてあつみをたせ、絵柄えがら立体りったいてきにしたものです。ふるくから小箱こばこやびょうぶ、うちわなどに使つかわれた手法しゅほうですが、それと「羽子板はごいた」を合体がったいしたてん画期的かっきてきでした。「今風いまふううなら、3(スリー)Dのいたかざよう羽子板はごいた、というところでしょうか。まったくべつ存在そんざいだった押絵おしえ羽子板はごいたわせるなんて、江戸えどまちにはセンスのあるアイデアマンがいたんですね」

 押絵おしえ立体的りったいてきになった人物じんぶつからだは、男物おとこものでは「弁慶べんけい」や「鎌倉権五郎かまくらごんごろう」などの歌舞伎かぶき役柄やくがら豪快ごうかいに、女物おんなものの「藤娘ふじむすめ」や「静御前しずかごぜん」などでは、ふっくらとおだやかな表情ひょうじょうはなやかな着物きものてます。

女児じょじ誕生たんじょう正月しょうがついわ

毎年(まいとし)12月(がつ)に浅草寺(せんそうじ)境内(けいだい)で開(ひら)かれる羽子板市(はごいたいち)=2018年(ねん) 拡大
毎年(まいとし)12月(がつ)に浅草寺(せんそうじ)境内(けいだい)で開(ひら)かれる羽子板市(はごいたいち)=2018年(ねん)

 江戸時代えどじだい歌舞伎かぶき人気にんきひろまった押絵おしえ羽子板はごいたですが、一方いっぽうで、おんなまれたいえへの正月しょうがついわいとしてもとめられます。師走しわす18にち浅草あさくさ浅草寺せんそうじ境内けいだいひらかれる「としいち」で正月飾しょうがつかざりのひとつとしてられていた羽子板はごいたは、押絵おしえ羽子板はごいた人気にんきとともに主役しゅやくに。まいとし12がつ17~19にちには「羽子板市はごいたいち」のひらかれるようになりました。

 数年前すうねんまえのこと。一人ひとり女性じょせいが「はじめての孫娘まごむすめまれたので」と、向島むこうじまのおみせ羽子板はごいたいにました。はなしくと、40ねんほどまえに、当時とうじ20さい前後ぜんご銀行員ぎんこういんだったこの女性じょせいに、先代せんだい鴻月こうげつさんが、伝統的でんとうてき羽子板はごいたはなしをしたのをおぼえてくれていたそうです。

 「感動かんどうしましたね。ちちはなしおぼえてくれていた40ねんしのおきゃくさんが、てくれたんですから。今日きょう仕事しごとは、今日きょうのためにあらず。最近さいきんっていただいたおきゃくさんには『羽子板はごいた文化ぶんかまもっていただいて、ありがとうございます』とうようにしています」

季節きせつかざるスペースを

 そうかた鴻月こうげつさん。「ぜひ、いえ一角いっかくちいさな空間くうかんつくって、七夕たなばたとか、クリスマスとか、季節きせつのいろいろなものかざえをして、たのしんでみては。そのとき正月しょうがつ似合にあうのが、羽子板はごいたではないでしょうか」と提案ていあんします。

 あそごころゆたかだった江戸えど職人しょくにん考案こうあんした、3(スリー)Dの羽子板はごいたながあいされてきたのは、ずっとわらない職人しょくにんたちのゆたかな発想力はっそうりょくがあったからでしょう。【ぶんもり忠彦ただひこ写真しゃしん内藤ないとう絵美えみ

 ◆逆三角形ぎゃくさんかくけい

「藤娘(ふじむすめ)」の押絵羽子板(おしえはごいた) 拡大
「藤娘(ふじむすめ)」の押絵羽子板(おしえはごいた)

 押絵おしえ羽子板はごいたづくりは、かおえがく「面相めんそう」と、おもからだつくる「押絵おしえ」とにおおきくかれます。

押絵おしえづく

 ぎゃく三角形さんかくけい羽子板はごいたにどんなポーズでえがくか、どんな小道具こどうぐえるかなどをかんがえ、下絵したえきます。下絵したえをもとに着物きものえりおびなど、押絵おしえ部品ぶひんめます。部品ぶひんごとにボールがみかたつくります。かた使つか厚紙あつがみから台紙だいしします。台紙だいしうえ綿わたせ、ぬのでくるみ、ふちをノリでじます。いまは、押絵おしえ羽子板はごいたように、ちいさながら布地ぬのじがありますが、ふる作品さくひんには、ひと着物きもの使つかったがらおおきなものもみられるそうです。

面相めんそう

 表情ひょうじょうえが面相めんそうきはもっとも使つかいます。おも日本画用にほんがようのもので、イタチやタヌキのふでで、化粧けしょうをするかのようにていねいに仕上しあげていきます。

 着物きもの模様もようえがく「上絵うわえき」をすることも。「京鹿子娘道成寺きょうがのこむすめどうじょうじ」ではさくら、「藤娘ふじむすめ」ではふじなど、実際じっさい歌舞伎かぶきて、衣装いしょうがらくのだそうです。

3(スリー)D浮世絵うきよえ

 羽子板はごいたいたは、東北地方とうほくちほうれた上質じょうしつ桐材きりざいです。木工業もっこうぎょうさかんな埼玉県春日部市さいたまけんかすかべし羽子板はごいたかたち加工かこうされます。大小だいしょうありますが、鴻月こうげつでは20ごうやく60センチメートル)が主流しゅりゅう。このおおきさは、日本家屋にほんかおくにある「長押なげし」にしてかざるのにちょうどいいのだそうです。最後さいご押絵おしえ羽子板はごいたけると、「3(スリー)D浮世絵うきよえ」とでもべそうな、押絵おしえ羽子板はごいたができあがります。

 ●羽子板はごいた歴史れきし

 「羽子板はごいた」は室町時代むろまちじだい資料しりょうはじめて登場とうじょうします。「京都きょうと御所ごしょ正月しょうがつ宮様みやさま女官にょかんたちが紅白こうはくかれて羽根はねつきをたのしんだ」という記録きろくがあります。羽根はねは、いろいろな疫病えきびょう原因げんいんとなるべてくれるトンボに見立みたてたもので、羽根はねつきをすることで疫病えきびょう退治たいじ無病息災むびょうそくさい願掛がんかけや、よけの意味いみもあったようです。やがて装飾品そうしょくひんにもなり、まれてはじめて正月しょうがつむかえるおんなへのおくものとして流行りゅうこうしていきました。

 ●郷土きょうど羽子板はごいた

各地(かくち)の郷土羽子板(きょうどはごいた)の表(おもて) 拡大
各地(かくち)の郷土羽子板(きょうどはごいた)の表(おもて)
各地(かくち)の郷土羽子板(きょうどはごいた)の裏(うら) 拡大
各地(かくち)の郷土羽子板(きょうどはごいた)の裏(うら)

 日本にっぽんでは各地かくち郷土きょうど羽子板はごいたつたわっています。鴻月こうげつさんがせてくれたのは、ひなかざりをえがいた長野県上田市ながのけんうえだし福島県本宮市ふくしまけんもとみやしやまツバキのはながきれいな熊本県人吉市くまもとけんひとよしし豊作ほうさく祈願きがんした山梨県甲府市やまなしけんこうふし羽子板はごいた。いずれもうすいたかれたもので、実際じっさい羽根はねつきをすることもできそうです。

 ●すみだちいさな博物館はくぶつかん

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 職人しょくにんまちでもある墨田区すみだくには、区内くない文化ぶんか産業さんぎょうかんする製品せいひん工場こうじょう店舗てんぽ一角いっかく展示てんじした「すみだちいさな博物館はくぶつかん」があります。鴻月こうげつさんの店舗てんぽ一角いっかくにも「羽子板はごいた資料館しりょうかん」があり、明治めいじから昭和しょうわにかけてつくられたふる羽子板はごいたられます。

 ●歌舞伎かぶき人気にんき演目えんもく

押絵(おしえ)を板(いた)に取(と)り付(つ)ける西山鴻月(にしやまこうげつ)さん 拡大
押絵(おしえ)を板(いた)に取(と)り付(つ)ける西山鴻月(にしやまこうげつ)さん

 押絵おしえ羽子板はごいた題材だいざいになるのは、歌舞伎かぶき日本舞踊にほんぶようです。歌舞伎かぶきでは「助六すけろく」「勧進帳かんじんちょう」「しばらく」などの歌舞伎十八番かぶきじゅうはちばんをはじめ、「仮名手本忠臣蔵かなでほんちゅうしんぐら」「菅原伝授手習鑑すがわらでんじゅてならいかがみ」「義経千本桜よしつねせんぼんざくら」など。おな演目えんもくでも、役者やくしゃちがえば雰囲気ふんいきわります。おきゃくさんのおおくが熱心ねっしん歌舞伎かぶきファンのため「歌舞伎かぶきかんするいろんなことをっておかないといけません。毎年まいとし実際じっさい舞台ぶたい何度なんどって、勉強べんきょうしています」と鴻月こうげつさん。


手前(てまえ)は初代鴻月(しょだいこうげつ)、奥(おく)が後(のち)の2代目(だいめ)=1999年(ねん) 拡大
手前(てまえ)は初代鴻月(しょだいこうげつ)、奥(おく)が後(のち)の2代目(だいめ)=1999年(ねん)

 ◆鴻月こうげつ)

 ●「羽子板はごいた鴻月こうげつ

東京都墨田区向島とうきょうとすみだくむこうじま5の43の25

03・3623・1305

https://kougetsu.exblog.jp/(ブログ)

 浅草あさくさ近郊きんこう吉原よしわら大門おおもんまれそだった初代しょだい西山にしやま鴻月こうげつ(1921~2014ねん)は1937(昭和しょうわ12)ねん南千住みなみせんじゅにある伝統的でんとうてき押絵おしえ羽子板はごいた職人しょくにんに15さい弟子入でしいりし修業しゅぎょうしました。19さい職人しょくにんとして独立どくりつ昭和しょうわ30年代ねんだい前半ぜんはん(1955~59ねん)に現在げんざい向島むこうじまうつりました。7年前ねんまえくなり、現在げんざい長男ちょうなん和宏かずひろさんが2代目だいめいでいます。「鴻月こうげつ」の雅号がごう(ペンネームのようなもの)は、占師うらないし縁起えんぎがいいえらんでもらったそうです。


 次回じかいの「江戸東京えどとうきょう見本帳みほんちょう」は12がつ28にち一部地域いちぶちいきは29にち)に掲載けいさいします。ウェブサイト「The Mainichi」では連載れんさい一部いちぶ英語えいごめます。

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