インタビューに答(こた)える野依良治(のよりりょうじ)さん=東京都千代田区(とうきょうとちよだく)で、竹内(たけうち)紀臣(きみ)撮影(さつえい)
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「若い時、世界に出よう」
1957年、野依良治さんは、志望通り京都大学工学部に進みました。同大を卒業後、博士号を取得。その後、29歳で名古屋大学の助教授(今は准教授と呼びます)に転任し、33歳の時に同大教授になりました。そして、後にノーベル賞を受賞する研究に取り組みます。10年以上の長い年月を経て研究は完成しました。
ノーベル賞授賞式(しょうじゅしょうしき)で受(う)け取(と)ったメダルを手(て)にする野依(のより)さん=スウェーデンのストックホルムで2001年(ねん)12月(がつ)10日(とおか)(名古屋大学(なごやだいがく)提供(ていきょう))
2001年、ノーベル化学賞を受賞しました。ノーベル賞の賞金約2800万円は名古屋大学に寄付しました。「研究グループの代表でもらったから」というのが理由です。その後、理化学研究所理事長、政府の教育再生会議座長などを経て、15年からは科学技術振興機構研究開発戦略センター長を務めています。
野依さんは今強く思います。「私たちは、後の世代に責任を負っています。自分が死ぬ時は、社会を、生まれた時と同じかそれ以上にして次世代に渡す倫理的義務があります」と。このため、子ども・若者の教育について社会に伝えたいこともたくさんあります。
「私は疎開中にいろいろなことを教えてもらいました。小さいころに里山の自然と触れ合うことは非常に大切です」と訴えます。「夏休みに年に1度でもいいからキャンプをした方がいい。自分で火をおこし、水をくみ、魚を釣る。生きる力が試されます。旅費も時間もかかるけれど、人生80年100年生きるために必要」と言います。
さらに「水はなぜ流れるのか、雲はなぜ落ちてこないのか。スマホで調べても本当のことは分かりません。自分で問題を見つけ、自分で答えを作るという習慣をつけてほしい。それが人生を豊かにします」と教えてくれます。
戦争、あってはならぬ
幼少期に体験した戦争は「絶対あってはならない」と、強い調子で言った上で、防ぐ方法を次のように考えます。「国と国の意見が食い違うことがあるのは仕方ありません。しかし大切なのは、同意はできなくてもお互い何を思っているか理解を深めること。そして一番有効なのは、個人的な深い友好関係です」と、若いときに多くの友人関係を築くことが必要だとアドバイスします。
野依さんの座右の銘(大切にしている言葉)は「事実は真実の敵なり」。ミュージカル「ラ・マンチャの男」の中のドン・キホーテのせりふです。「言い換えれば『木を見て森を見ず』『鹿を追うものは山を見ず』ということです」と説明し、付け加えます。「子どもは細かいところまで行き届く精緻な『虫の目』を持っています。しかしもっと、一部ではなく、全体を見る俯瞰的な『鳥の目』も必要です。そのためには、隣の友達や先生とばかり話さないで、違う世代、違う国の人とどんどん知り合って話してほしい」と熱望します。野依さんのお母さんはいつも「いい友達を作りなさい」と言っていました。小さいころはよく理解できませんでしたが、大人になり、その通りだと思いました。
「私は毎小を読んだので『鳥の目』が身についたのかもしれません。それと新聞全体に言いたい。カタカナ語はやめてください。みんなに伝わらないから」。70年以上の時を経て、元愛読者から温かくも厳しいメッセージをもらいました。