戦国武将の危機管理

「バカ殿」だった武田信玄を救った重臣の忠言

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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JR甲府駅近くにある武田信玄公像=2008年3月4日、曹美河撮影
JR甲府駅近くにある武田信玄公像=2008年3月4日、曹美河撮影

 武田信玄のことを詳しく記した「甲陽軍鑑」に興味深いエピソードがある。天文8(1539)年というから、信玄19歳のときのことである。そのころの信玄は、父信虎との関係もよくなく、また、弟信繁が家督をつぐことになるかもしれないという不安が原因だったと思われるが、生活が乱れたことがあった。

 具体的には、若い女ばかりを集め、昼間から座敷の戸を立て回し、遊び狂ったり、詩作にばかり興じていた。跡とりがこの状況では、武田家の危機である。それを見かねた傅役(もりやく)の板垣信方が思いきった行動に出た。

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com