山形県米沢市の観光イベント「米沢上杉まつり」で再現された川中島合戦=2014年5月3日、佐藤良一撮影
山形県米沢市の観光イベント「米沢上杉まつり」で再現された川中島合戦=2014年5月3日、佐藤良一撮影

社会・カルチャー戦国武将の危機管理

突然の「隠居宣言」で家臣をまとめた上杉謙信の回り道

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 戦国合戦の勝率第1位といわれ、「軍事のカリスマ」などと評される上杉謙信のことなので、家臣たちは最初からその采配に従っていたかのように考えられているが、それはまちがいである。謙信にも、家臣を統轄しきれない危機的状況があった。では、その危機をどう乗り越えたのであろうか。

 周知のように、謙信は長尾為景の末子として生まれ、為景死後、家督は兄晴景がついでいた。しかし、晴景にリーダーシップがなく、家臣たちに推される形で謙信が家督をつぎ、越後一国をまとめることに成功し、甲斐の武田信玄とも戦えるだけの力をもつようになっていった。

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小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com