戦国武将の危機管理

背水の陣を嫌い、城を作り直した家康の臨機応変

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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1958年に復元された浜松城天守閣=2010年4月6日、瀬上順敬撮影
1958年に復元された浜松城天守閣=2010年4月6日、瀬上順敬撮影

 徳川家康は永禄11(1568)年12月、甲斐の武田信玄と手を結び、間にはさまれた駿河・遠江の戦国大名今川氏真を同時に攻めている。このとき、大井川を境にして、駿河は武田、遠江は徳川が奪い取るという「駿遠分割領有の密約」が結ばれたという。

 結果的にはその通りになり、家康はそれまでの領国三河と新たに遠江を支配下に置くことになった。そうなると、三河の岡崎城では領国全体からみて西に寄りすぎで、また、家康は、織田信長の居城移転のやり方を学ぼうとしたものと思われる。信長は、新しく得た地の最先端に近いところに城を移し、次をねらう根拠地にするというやり方をしていた。

 家康も、新しく得た遠江に城を移すことを考え、はじめ、候補地として選んだのが見付(みつけ、現在の静岡…

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com