
長宗我部元親の土佐国は山地が多く、米の収穫量は少なかった。百姓たちからの年貢収入を財源とする戦国大名としては危機的状況だったといえる。しかし、ふつうならば弱小国といってよい土佐国を出発点に、元親は何と、伊予・讃岐、さらに阿波と、四国全土の平定をほぼ成しとげているのである。それはどうしてなのか。どのように危機を乗り越えていったのだろうか。
平地より山地が多いという、ふつうには弱点となるところを元親はむしろ逆手にとった。山地が多いということは、樹木が豊富だということである。元親はこの森林資源に目をつけ、領内の木をすべて「御用木」とし、勝手に切ってはいけないという命令を出しているのである。これは元親による木材統制であり、商品化した材木を専売制とし、それを領外の国に売り、いわゆる「外貨稼ぎ」としていたことが知られている。
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静岡大学名誉教授
戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com
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