
天正10(1582)年6月2日の本能寺の変のとき、徳川家康は堺から京都に向かうところだった。織田信長から堺遊覧を勧められ、信長が安土から京都に出ているということで、京都で信長にお礼のあいさつをするつもりだったのである。
堺遊覧が目的だったので、同行していた家臣はわずかだった。20名ほどにすぎない。メンバーとしては、酒井忠次・石川数正・本多忠勝・榊原康政・井伊直政といったそうそうたる顔ぶれである。その一人、本多忠勝が一行の先を進んでいた。信長との連絡をとるためだったのであろう。
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静岡大学名誉教授
戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com
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