
天下統一の覇者といわれる織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人については、何となく「一生、勝ちっぱなしだったのではないか」といったイメージがある。しかし、実際のところは、負けた戦いもあるし、勝った戦いでも、ようやく勝てたという戦いも少なくない。信長家臣の時代、まだ羽柴秀吉といっていたときの播磨三木城攻め(兵庫県三木市)は、その一例といってよいかもしれない。
秀吉による三木城攻めは、秀吉自身の予想をはるかに超えて、何と1年10カ月もかかっているのである。ここからが秀吉の危機管理ということになる。秀吉は、すぐ、「なぜ1年10カ月もかかってしまったのか」をふり返り、分析しているのである。これは秀吉流の危機管理といってよい。自分の失敗を反省し、分析し、つぎの戦略に生かそうとしている姿勢が読みとれる。
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静岡大学名誉教授
戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com
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