戦国武将の危機管理

長篠で大敗北した武田勢を旗印で鼓舞した春日虎綱

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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「長篠合戦のぼりまつり」で披露された火縄銃の射撃=2007年5月5日撮影
「長篠合戦のぼりまつり」で披露された火縄銃の射撃=2007年5月5日撮影

 戦国史にくわしい人も、春日虎綱という名前をみて、「春日虎綱って誰?」と思ったかもしれない。それも無理はない。これまで、高坂(こうさか)弾正昌信の名で伝えられてきた武将である。武田信玄・勝頼の2代に仕え、特に信濃の海津城将として知られ、「甲陽軍鑑」の原作者といわれている。

 近年の研究によって、高坂ではなく香坂(こうさか)が正しく、また、名乗りも昌信と称したことは一度もなかったとされている。ただ、一時期、香坂氏の養子になっていたので、春日虎綱のほか、香坂虎綱という名前でも出てくることはある。

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com