
北条早雲という名前は、厳密にいえば正しくない。自らは一度も北条という名字を使っていないし、北条を名乗りはじめるのは子の氏綱からだからである。正しくは伊勢新九郎盛時、出家して早雲庵宗瑞(そうずい)と称するので、最近の学術書では伊勢宗瑞としている。ここでは、通称の意味で北条早雲と記述する。
早雲は、駿河の戦国大名、今川氏親の家督相続によって頭角をあらわしている。氏親が早雲の姉の子、すなわち甥(おい)にあたっていたからである。
早雲はそのころ、今川氏の支配が手薄だった駿河東部の支配にあたるため、興国寺城(静岡県沼津市)に入っていた。ちょうど、伊豆の堀越(ほりごえ)公方家で内紛がおこり、その混乱に乗じ、明応2年(1493年)、伊豆に攻め入った。早雲の伊豆討ち入りといわれている。
この記事は有料記事です。
残り1012文字(全文1352文字)
投稿にはログインが必要です。
小和田哲男
静岡大学名誉教授
戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com