社会・カルチャー戦国武将の危機管理

鉄張り巨大軍艦で毛利水軍に打ち勝った信長の発想力

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 織田信長は伊勢湾を経済的な基盤としながらも、意外なことに水軍を組織するのは遅かった。永禄10(1567)年からはじまる伊勢侵攻のとき、北畠氏の配下にあった志摩水軍の九鬼嘉隆(くき・よしたか)を味方につけてからである。嘉隆は同12(1569)年の伊勢大河内(おかわち)城攻めに船手の大将として活躍し、以降、織田水軍の中心となった。

 信長が石山本願寺と敵対関係になったとき、本願寺を取りまく形でとりでを築き、兵糧攻めの態勢をとった。…

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小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com