戦国武将の危機管理

「中国大返し」を成功させた黒田官兵衛のアメとムチ

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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 天正10(1582)年6月2日の本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれた。その第一報が備中高松城を水攻めしていた羽柴秀吉のもとに届いたのは翌3日の夜だったといわれている。

 秀吉は、すぐ毛利輝元の使僧、安国寺恵瓊をよび、信長の死を隠したまま講和交渉を急がせ、結局、翌4日、清水宗治が切腹し、戦いは終わった。しかし、毛利軍が撤退するまでは秀吉も兵を引くことができず、ようやく、6日になって行動を開始した。いわゆる「中国大返し」のはじまりである。

 その日のうちに備前の沼城に到着し、翌7日早朝、沼城を出発し、その日は夜通し走り、8日早朝、播磨の姫…

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com