社会・カルチャー戦国武将の危機管理

重臣に戦略を打ち明けなかった「桶狭間信長」の深謀

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 桶狭間の戦いの前夜、すなわち永禄3(1560)年5月18日、織田信長の重臣たちは清須城に集まった。今川義元が三河・尾張の国境を越えて沓掛城に入ったからである。重臣たちは、今川軍をどう迎え撃つかの軍議が開かれると思い待機していた。

 ところが、太田牛一の著した「信長公記」には、「其夜の御はなし、軍(いくさ)の行(てだて)は努々(ゆめゆめ)これなく、色々世間の御雑談迄にて、既に深更に及ぶの間帰宅候へと御暇下さる」とあり、軍議は開かれず、雑談ばかりで、「もう夜もふけたので、家にもどれ」といわれたことがわかる。

 「信長公記」のその続きに、「家老の衆申す様、運の末には智慧の鏡も曇るとは此節なりと、各嘲哢(ちょう…

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小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com