彦根城と上空を飛ぶブルーインパルス=2017年6月4日、西村浩一撮影
彦根城と上空を飛ぶブルーインパルス=2017年6月4日、西村浩一撮影

社会・カルチャー戦国武将の危機管理

「長幼の序」を覆した井伊直孝“大坂夏の陣の大手柄”

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 関ケ原の戦いのときに受けた鉄砲傷が悪化し、井伊直政は慶長7(1602)年2月1日、42歳の若さで亡くなった。このとき、長男の直継(のち直勝)はまだ13歳だったが、家康はその家督相続を許し、佐和山城から彦根城への移転も認めた。翌年、幕府成立とともに、大坂城包囲網の一環としての彦根城築城が幕府による天下普請として進められた。

 ところが、若い直継では個性の強い家臣をまとめることができず、内紛が生じ、そのことが原因となったのか…

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小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com