「長篠合戦のぼりまつり」で火縄銃を撃つ長篠・設楽原鉄砲隊=愛知県新城市の長篠城址で2014年5月5日、清藤天撮影
「長篠合戦のぼりまつり」で火縄銃を撃つ長篠・設楽原鉄砲隊=愛知県新城市の長篠城址で2014年5月5日、清藤天撮影

社会・カルチャー戦国武将の危機管理

織田・徳川軍が「長篠の戦い」で圧勝したもう一つの理由

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 天正3(1575)年5月21日、織田・徳川連合軍と武田軍との戦いが三河の長篠・設楽原で繰り広げられた。歴史の教科書にも大きく取り扱われている「長篠の戦い」である。

 通説では、この戦いで織田信長が3000挺(ちょう)の鉄砲を用意し、馬防柵で武田勝頼率いる武田騎馬隊を食い止め勝利したということで、大量の鉄砲と、鉄砲の三段撃ちが勝因とされてきた。

 もっとも、近年の研究で、鉄砲三段撃ちについては見直しが進められている。鉄砲3000挺は実際は100…

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小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com