思い邪なし

思い邪なし54 鹿児島大学時代(四)

北康利・作家
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第一章 勝ちに見放されたガキ大将

鹿児島大学時代(四)

 成績に自信のあった稲盛は、担当教授の竹下寿雄から、

 「学科創設以来、学業においても人間的にももっとも優れた学生だ」

 と太鼓判を押されていたという(針木康雄『稲盛和夫』)。当然、就職に苦労するなどとは考えていなかったが、現実はそう甘くはなかった。

 大学に入った頃は朝鮮戦争特需に沸いていたが、卒業前年の昭和二十九年(一九五四年)ともなるとその反動からくる不況のまっただ中にあり、求人が極端に少なく就職は一転して狭き門となっていたからだ。おまけにできたばかりの鹿児島大学の認知度は低く、企業の設ける学校ごとの採用枠に名前のない場合が多かった。戦後乱立した新設の国立大学は「駅弁大学」と揶揄(やゆ)されたが、当時の鹿児島大学工学部は国立でさえなかったからなおさらだった。

 困り果てた稲盛に川上が助け船を出してくれた。叔父が通産省で鉱山局長をしていたのだ。後に中小企業庁長…

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北康利

作家

1960年生まれ。東大法学部卒業後、富士銀行(現・みずほ銀行)入行。富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長などを経て、2008年みずほ証券を退職し、本格的に作家活動に入る。著書に「白洲次郎 占領を背負った男」、「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」など。