第二章 京セラ設立
企業の力を未来進行形で考える(二)
「どんな注文でもくれというなら京セラさん、頼むよ」
メーカーは注文を取らなければ成り立たないが、これは複雑な形状から、技術力のある碍子(がいし)メーカーまで辞退した代物だった。
稲盛はこう述懐している。
<直径五十センチメートル、長さ一メートルの焼き物の土管で、中に壁にそって二重ラセンの水冷パイプが通っている。おそらく戦前につくられたもので、寿命が尽きたのだろう。だれがつくったかも分からず、設計図も残っていなかった。そのため、どこも引き受け手がなく、最後に私どもの会社に製作依頼があったようだ。ひと目見て、「難しい」と直感したが、当時はどんな仕事でも欲しい時だったので、つい「出来ます」と口走ってしまった>(「創業のころ」日経新聞九三年八月二十五日記事)
ここからが大変だ。問題は二重ラセンの水冷パイプである。粘土の押し出し機を借りてきて、大きな柱に粘土を巻きつけ、中空のラセン状パイプをつくってみた。ところが粘土が硬すぎると乾燥の過程でひび割れを起こすし、軟らかすぎるとラセン状のパイプが垂れさがってしまう。
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北康利
作家
1960年生まれ。東大法学部卒業後、富士銀行(現・みずほ銀行)入行。富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長などを経て、2008年みずほ証券を退職し、本格的に作家活動に入る。著書に「白洲次郎 占領を背負った男」、「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」など。