社会・カルチャー戦国武将の危機管理

武田軍が今川勢との決戦に勝った陰に「信玄誕生秘話」

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 武田信虎というのは武田信玄の父である。信虎がそれまでの武田氏の本拠だった石和から躑躅ヶ崎(つつじがさき)館に移ったのが永正16(1519)年で、来年はちょうど500年にあたることから、甲府市では、来年、「甲府開府500年」ということで、記念事業室を設け、その準備に入っている。

 信虎が躑躅ヶ崎館に移って2年後の大永元(1521)年9月、隣国駿河の今川軍が甲斐に攻めこむということがあった。今川家の重臣、福島(くしま)氏の軍勢であるが、今川の正規軍なのか、福島氏の単独行動なのかわからない面もある。いずれにせよ、9月から10月にかけて、福島氏の軍勢が富士川を北上し、甲斐に攻めこんできたことは「塩山向岳禅庵小年代記」や駒井高白斎(こうはくさい)の日記「高白斎記」にみえるのでまちがいない。

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小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com