戦国武将の危機管理

家臣237人に忠誠を血で誓わせた信玄“最大の危機”

小和田哲男・静岡大学名誉教授
  • 文字
  • 印刷
武田信玄公像=甲府市で2017年3月3日、井川諒太郎撮影
武田信玄公像=甲府市で2017年3月3日、井川諒太郎撮影

 甲斐の武田信玄は、相模の北条氏康、駿河の今川義元と同盟関係にあった。「甲相駿三国同盟」として知られている。信玄の嫡男義信のもとに今川義元の娘が嫁いでいた。

 ところが、永禄3(1560)年5月19日の桶狭間の戦いで義元が織田信長に討たれたことで状況が変わった。信玄としては、「義元だから同盟を結んだのだ」という思いがあり、義元死後、今川家を背負ってたつ氏真にはその力量がないとみていたのである。

この記事は有料記事です。

残り1082文字(全文1279文字)

   

ご登録日から1カ月間は100円

いますぐ登録して続きを読む

または

登録済みの方はこちら

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com