黒部市にある「パッシブタウン」=2018年3月14日、田中学撮影
黒部市にある「パッシブタウン」=2018年3月14日、田中学撮影

政治・経済経済プレミア・トピックス

「失敗しても成功せよ」YKK会長が語る黒部活性化

中村智彦 / 神戸国際大学教授

富山県黒部市 YKKの「まちづくり・住まいづくり」(4)

 YKKのファスニングとYKK APの建材の両事業を中核とするYKKグループが、製造・開発拠点の富山県黒部市で一企業として「まちづくり・住まいづくり」に取り組むのはなぜなのか。YKKとYKK APの会長兼最高経営責任者(CEO)を務める吉田忠裕氏(71)の声も交えながら、理由を探る。

本社機能の一部移転で構想が始動

 2015年3月に北陸新幹線が金沢駅まで延伸開業し、富山から東京まで2時間強の距離となった。YKKグループは、新幹線開業と同時期に東京・秋葉原にある本社機能の一部を黒部へ移転し、東京周辺に勤務していた社員約230人が黒部へ移り、16年4月までに完了した。

在来線の駅とは別に設置された新幹線の黒部宇奈月温泉駅
在来線の駅とは別に設置された新幹線の黒部宇奈月温泉駅

 筆者は、北陸新幹線開業前からたびたび黒部を訪れ、吉田氏からも機能移転や新しいまちづくりの構想について聞いてきた。吉田氏は、機能移転を進めた大きなきっかけは東日本大震災だという。その際に課題として出てきたのが、老朽化した社宅に代わる新たな住宅と、エネルギー問題への挑戦だった。それが「パッシブタウン」だ。

 吉田氏は機能移転の計画段階で、「東京に住んでいた社員が黒部に転勤し、本人も家族もがっかりする住環境では機能移転は失敗する」と語っていた。機能移転前も黒部へ転勤する社員はいたが、老朽化した社宅を敬遠。黒部には賃貸物件が少なく、車で1時間ほどの富山市など黒部市以外に住むケースも多かったという。

黒部市に新たに設立するR&Dセンターについて説明する吉田忠裕会長=2014年4月10日、成田有佳撮影
黒部市に新たに設立するR&Dセンターについて説明する吉田忠裕会長=2014年4月10日、成田有佳撮影

 また、東日本大震災後のエネルギー問題に直面して、黒部の天然資源である地下水や季節風「あいの風」を活用するコンセプトができてきた。太陽熱や地下水などの自然エネルギーを活用することで、化石燃料などのエネルギー消費量を減らしながら快適な生活ができる環境を目指して「パッシブタウン」のプロジェクトを始動した。

 吉田氏はパッシブタウンについて、「船を動かす時にエンジンを使って進むのがアクティブ。一方、帆を立てて風をうまく捉えて進むのがパッシブで、両方を上手に生かすことが大切です。省エネだからと空調を我慢して不便な生活をするのではなく、小さいエネルギーでも豊かに生活できる方がよい」と語っていた。エネルギー効率や設計、建築、環境などの専門家を集め、計画を推進したという。

パッシブタウン内にはところどころに憩いの場がある
パッシブタウン内にはところどころに憩いの場がある

エネルギー消費量などのデータを公表

 パッシブタウンは作って終わりではない。それぞれの街区で2年間の検証期間を設け、第三者委員会による実測ベースのエネルギー消費性能とパッシブデザインの評価を進めている。吉田氏は次のように話す。

 「1~2年たてば、使い勝手や住み心地、設計段階に計画したエネルギー消費量と実際の差が明確になります。目標値に対する実際の数値などのすべてのデータを公表します。設計された方には厳しい試練かもしれません。これから始まる第4期街区に挑戦したいという方もいますが、『結果が出なければあなたの建築家人生が終わるかもしれないよ』と伝えると、みな驚きますね(笑い)」

 吉田氏は、人も、それぞれの暮らしも、まちの役割も変化することを前提に、パッシブタウンを中心としたプロジェクトに本気で取り組んでいる。こうした発想の背景には、創業者で父の忠雄氏(1908~93年)の影響が大きいという。

パッシブタウンの住宅棟の屋上には住民が集まれるスペースもある
パッシブタウンの住宅棟の屋上には住民が集まれるスペースもある

 忠雄氏は「競争によって良い物ができあがる」という考えを持ち、大きな目標に向かって挑戦し続ける意味で「失敗しても成功せよ」と常々言っていたそうだ。パッシブタウンの設計をさまざまな建築家に任せ、検証して公表するのは忠雄氏の言葉の具現化だ。

まちづくり・住まいづくりの壮大な実験

 急成長していたころの炭鉱会社や製鉄会社の事例を除けば、一企業で過大とも見える投資を地域にしている企業は、現在国内にはないだろう。同グループの中核事業の一つであるファスニング事業は、市場の大半が海外にあり、黒部は単なる生産工場ではなく、研究開発や技術伝承などの役割が大きくなっている。国内市場を主とする建材事業でも、技術者や開発者が集まり、多くの製造拠点がある黒部は重要な位置づけだ。黒部を衰退させるわけにはいかないのだ。

電鉄黒部駅前の通り。この道を直進するとK-TOWNのある黒部駅に達する
電鉄黒部駅前の通り。この道を直進するとK-TOWNのある黒部駅に達する

 吉田氏は、6月の株主総会で会長を辞任し代表権のない取締役に就任することを3月に発表しているが、同グループの方針が大きく変わることはないだろう。パッシブタウンでは25年の最終完成まで第4期~第6期街区と新たな住宅群の建設が進む。単なる社宅ではなく、地元も巻き込んだ壮大な実験はまだ続いていく。

 <「YKKの『まちづくり・住まいづくり』」は今回で終わります>

(3)YKKが「黒部駅前のにぎわいづくり」に取り組む理由

(2)「家の底が暖房のキモ」富山・黒部パッシブハウスの力

(1)富山県黒部市で異彩を放つYKKの「パッシブタウン」

中村智彦

中村智彦

神戸国際大学教授

1964年、東京都生まれ。88年、上智大学文学部卒業。96年、名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程修了。外資系航空会社、シンクタンクで勤務。大阪府立産業開発研究所、日本福祉大学経済学部助教授を経て、現職。専門は中小企業論と地域経済論。中小企業間のネットワーク構築や地域経済振興のプロジェクトに数多く参画し、日テレ系「世界一受けたい授業」の工場見学担当も務める。

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