大坂城=2007年7月、内林克行撮影
大坂城=2007年7月、内林克行撮影

社会・カルチャー戦国武将の危機管理

一揆を防いだ秀吉の刀狩令 その裏にもう一つの狙い

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 豊臣秀吉は天正16(1588)年7月付で3カ条の「条々(じょうじょう)」を出した。その冒頭第1条は、「諸国百姓等、刀・わきさし・弓・やり・てつはう、其外武具のたくひ所持候事、かたく御停止候」ではじまる有名な刀狩令である。

 秀吉がこの時期、刀狩令発令に及んだ理由については、民衆の武装解除をねらったものというのが一般的な受けとめ方であった。それは、刀狩令に、百姓たちの一揆を未然に防ぐためという記述があったからである。

 具体的には、第1条に続く文章で、「其子細は、不入(いらざる)たうくあひたくはへ、年貢所当を難渋せし…

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小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com