社会・カルチャー戦国武将の危機管理

四国の覇者・長宗我部元親が秀吉に屈服したてん末

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 長宗我部元親は、永禄3(1560)年の本山茂辰(もとやま・しげとき)との戦いが初陣で、その後、安芸氏を滅ぼし、一条氏を土佐から逐(お)って、天正2(1574)年には土佐一国を平定している。その後、さらに伊予・讃岐・阿波にまで兵を進め、同10(1582)年には四国全土をほぼ平定するまでになった。

 ところが、元親の快進撃もそこまでであった。同13(1585)年、豊臣秀吉からの横やりが入った。秀吉は、はじめ、戦わずに元親を屈服させようと、「伊予・讃岐を返上すれば、残りの土佐・阿波の2カ国は安堵(あんど)しよう」ともちかけている。しかし、元親は、4カ国は自分の力で切り取ってきたという自負があり、2カ国割譲はのめる条件ではなかった。

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小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com