戦国武将の危機管理

敵と父をやむなく撃った伊達政宗の判断に残るナゾ

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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 伊達政宗は、天正12(1584)年10月、父輝宗から譲られて、伊達家の家督についた。輝宗41歳、政宗18歳のことである。

 そして、家督をついだばかりの政宗は、翌13年閏8月、小手森城(おでのもりじょう、福島県二本松市)の大内定綱を攻め、城を落とすことに成功した。武将として幸先のよいスタートを切った形であるが、その直後、思わぬ展開が待ち構えていた。自分の手で父親を殺さなければならないという究極の危機管理である。

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com