戦国武将の危機管理

名古屋城を諸大名に築かせた家康「天下普請」の意味

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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名古屋城=2016年11月撮影
名古屋城=2016年11月撮影

 豊臣秀吉や徳川家康が、自分の居城を築くのに、配下の諸大名を動員して築かせることを手伝い普請といっているが、秀吉や家康といった天下人の命令ということで、天下普請ともいわれている。

 いうまでもなく、諸大名に築城を手伝わせるわけなので、秀吉や家康にしてみれば、自分たちの出費を抑えるとともに、諸大名に金を使わせる一挙両得の政策であった。たしかに、経済という視点でみればそうであるが、それだけではなかった。特に家康の時代の天下普請には経済とは別の要素が含まれていたように思われる。

 秀吉の時代から、次から次へと間断なく合戦がくりひろげられていたので、秀吉と諸大名の関係は、合戦に動…

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com