戦国武将の危機管理

「毛利の所領は没収!」家康の命令を覆らせた男

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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 慶長5(1600)年9月の関ケ原の戦いを前にして、徳川家康は黒田長政および直臣の井伊直政らを使って、西軍の毛利陣営に対する切り崩し工作を行っていた。

 周知のように毛利氏は、元就のとき、長男隆元が毛利氏を継ぎ、次男元春が吉川(きっかわ)氏を継ぎ、三男隆景が小早川氏を継ぎ、吉川・小早川2本の川が本家を守るという「毛利両川(りょうせん)体制」をとった。吉川元春の跡を継いだのが吉川広家、小早川隆景の跡を継いだのが小早川秀秋だった。

 隆元の嫡男、毛利輝元が西軍総帥にかつぎ出されたあと、家康は、吉川広家・小早川秀秋に対し、中立ないし…

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com