戦国武将の危機管理

織田信長が京都に二条城を築いた意外な理由

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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京都御苑椹木口に移築復元された、織田信長時代の二条城石垣=京都市で2018年2月19日、礒野健一撮影
京都御苑椹木口に移築復元された、織田信長時代の二条城石垣=京都市で2018年2月19日、礒野健一撮影

 永禄11(1568)年9月7日、織田信長は自ら尾張・美濃・伊勢の大軍を率いて岐阜を出発し、上洛のための軍事行動をおこした。早くも12日には近江の六角承禎の支城箕作城を落とし、翌13日には承禎・義弼(よしすけ)父子は観音寺城を捨てて甲賀郡へ逃れていった。

 そこで信長は家臣の不破光治を使者として岐阜にいた足利義昭を迎えにやり、ついに26日、信長は義昭を奉じて入京に成功した。そして10月18日、義昭は征夷大将軍に任命され、京都六条の本圀寺(ほんこくじ)を将軍の仮御所としたのである。

 義昭の将軍擁立という目標を果たした信長は、26日に岐阜にもどっているが、本圀寺の仮御所にはわずかの…

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com