藻谷浩介の世界「来た・見た・考えた」

東西ベルリンの追憶「チェックポイントチャーリー」

藻谷浩介・地域エコノミスト
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ベルリンの壁を外国人が徒歩で越えられる関門だったチェックポイントチャーリーの跡。筆者も28年前に通過した(写真は筆者撮影)
ベルリンの壁を外国人が徒歩で越えられる関門だったチェックポイントチャーリーの跡。筆者も28年前に通過した(写真は筆者撮影)

 「テロのトポグラフィー」(ナチスの恐怖政治のエスカレーションを記録した博物館)の展示に、地に沈み込んでいくような思いになった筆者。ゲシュタポの地下牢(ろう)跡を見る元気はなく、さらに東へと歩いた。その先に「チェックポイントチャーリー」の遺構があった。大いににぎわう街路の真ん中に位置しており、ここが東西冷戦時に最前線中の最前線だったとはとても信じられない。

 1988年の初春。大学の卒業旅行に世界一周を試みた筆者は、新潟からハバロフスクに飛んでシベリア鉄道に乗り、イルクーツク、モスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルク)に立ち寄ってから、東ベルリンに足を下ろした。そして全身を緊張させつつ歩いて、このチェックポイントチャーリー(東西ベルリン間の検問所)から西ベルリンへと抜け、旧西ドイツ国鉄運営の途中の東ドイツの駅には止まらない特急に乗って西ドイツ・ケルンへ向かったのである。

 当時は東西冷戦の最末期で、東側の住民が西側に行けるのは、65歳を過ぎて年金生活になってからだった。何ともドライだが、彼らがそのまま亡命してしまうのは、むしろ口減らしで好都合という考えだったのである。東西の往来には、ベルリンの壁に設けられたいくつかの門を歩いて通り、パスポートチェックを受けなければならなかった。

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藻谷浩介

地域エコノミスト

1964年山口県生まれ。平成大合併前の約3200市町村のすべて、海外114カ国を私費で訪問し、地域特性を多面的に把握する。2000年ごろから地域振興や人口問題に関して精力的に研究、執筆、講演を行う。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」ほか多数。国内の鉄道(鉄軌道)全線を完乗した鉄道マニアでもある。