戦国武将の危機管理

会津若松の城下町に都市計画を取り入れた蒲生氏郷

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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若松城の桜=2015年4月18日、喜浦遊撮影
若松城の桜=2015年4月18日、喜浦遊撮影

 蒲生氏郷の城下町だった伊勢松坂(三重県松阪市)は、現在でも一部道路が湾曲しているところがある。それは、道沿いに家を建てるとき、1人ないし2人が隠れるような空間を設けさせたからである。

 敵が城下に攻めこんできたとき、その空間に兵を配置し、迎撃させたからであった。また、氏郷のつくった城下町には、丁字路とか、カギ形路、さらには袋小路といった、敵が直進できないような仕掛けもみられ、城だけでなく、城下町も防衛態勢に組みこんだことが知られている。

 その氏郷、天正18(1590)年の豊臣秀吉による小田原攻め後の「奥州仕置」によって会津へ転封される…

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com