戦国武将の危機管理

細川幽斎が“盟友”明智光秀の誘いをはねつけた理由

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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坂本城址公園(滋賀県大津市)に建てられた明智光秀像=2018年5月15日、礒野健一撮影
坂本城址公園(滋賀県大津市)に建てられた明智光秀像=2018年5月15日、礒野健一撮影

 細川藤孝は室町幕府の幕臣、三淵晴員(みつぶち・はるかず)の子だ。父晴員の兄にあたる細川元常の養子となり、十三代将軍足利義輝に仕えていた。元服のとき、義輝から「藤」の一字を与えられている。義輝の初名が義藤だったからである。

 その義輝が永禄8(1565)年5月、松永久秀や三好三人衆の襲撃を受けて殺害されたあと、奈良興福寺の一乗院にいた義輝の弟覚慶(かくけい)を救出したのが藤孝だった。

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com