
羽柴秀吉、すなわち、後の豊臣秀吉は、はじめ木下藤吉郎秀吉と名乗っていた。木下から羽柴への改姓は天正元(1573)年のことで、「羽柴藤吉郎」の文書における初見は同年7月20日付の大山崎惣中宛の書状(離宮八幡宮文書)である。
このとき、なぜ、木下から羽柴に名字を変えたのか、秀吉自身の考えを記したものは見あたらないが、通説としていわれているように、柴田勝家および丹羽長秀という二人の宿老と肩を並べるようになった秀吉が、御機嫌とり、もっといえば胡麻(ごま)を擂(す)るためだったと思われる。
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小和田哲男
静岡大学名誉教授
戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com