戦国武将の危機管理

豊臣秀吉が築いたライバル家康への“周到”な包囲網

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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JR静岡駅北口にある家康像=2015年1月29日、平塚雄太撮影
JR静岡駅北口にある家康像=2015年1月29日、平塚雄太撮影

 天正18(1590)年の豊臣秀吉による小田原攻めによって、最後まで抵抗していた戦国大名北条氏が滅ぼされた。これによって、葛西・大崎一揆、九戸政実の乱といった奥州の抵抗勢力の鎮圧を残して秀吉による天下統一が成ったことになる。

 そして秀吉は、この小田原攻めの論功行賞という形で、徳川家康を北条遺領の関東へ転封させている。これは、秀吉なりに計算した危機管理だったといってよい。

 周知のように家康は、かつての秀吉の主君だった織田信長の同盟者だった。秀吉が織田政権簒奪(さんだつ)…

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com