
徳川家康75年の生涯において、最大の痛恨事とされているのが、嫡男信康を切腹させざるをえなかったことといわれている。信康事件とも、連座される形で殺害された家康正室築山殿の名をとって、築山殿事件としても知られている。築山殿が浜松に近い佐鳴湖畔で殺されたのが天正7(1579)年8月29日、信康が二俣城で自害したのが9月15日のことである。
実は、この信康事件には謎が多い。21歳の青年武将に成長し、徳川家の三河における拠点である岡崎城を任されていた信康が、なぜ切腹させられたのか、はっきりした理由がよくわからないのである。嫡男を切腹させざるをえなかった家康の判断は、究極の危機管理といえるのではなかろうか。
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小和田哲男
静岡大学名誉教授
戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com