戦国武将の危機管理

“武田四天王”を登用した信玄流人事「門閥より能力」

小和田哲男・静岡大学名誉教授
  • 文字
  • 印刷
JR甲府駅前にある武田信玄の像=甲府市で2018年3月6日、田中理知撮影
JR甲府駅前にある武田信玄の像=甲府市で2018年3月6日、田中理知撮影

 戦国時代まで、家臣登用の基本は譜代門閥主義だった。たとえば、親が家老だったら子も家老になるという形である。そうした譜代門閥主義を打破し、能力本位の人材抜てきに切り替えていったのが織田信長とされ、信長の斬新さを語る際に必ずといってよいほど引き合いに出される。

 ところが、同時代、甲斐の武田信玄も能力本位の人材抜てきをしていたのである。はじめは譜代門閥主義を踏襲しつつ、次第に能力本位の人材配置を進めていった。それは信玄なりの危機管理の現れでもあった。

この記事は有料記事です。

残り1001文字(全文1226文字)

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com