戦国武将の危機管理

日本史最大のミステリー「本能寺の変」はなぜ起きた?

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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坂本城址公園(滋賀県大津市)に建てられた明智光秀像=2018年5月15日、礒野健一撮影
坂本城址公園(滋賀県大津市)に建てられた明智光秀像=2018年5月15日、礒野健一撮影

「明智光秀」小和田哲男さんに聞く(下)

 明智光秀はなぜ主君、織田信長を討ったのか。1582年6月に起きた「本能寺の変」は日本史でも最大のミステリーの一つだ。静岡大名誉教授の小和田哲男さんは、最新刊「明智光秀・秀満」でそのナゾに迫った。「世直し」のための下剋上だったという小和田さんの推理を詳しく伺った。【聞き手は経済プレミア編集部、今沢真】

 ――信長から高く評価されていたのに、光秀はなぜ謀反を起こしたのでしょうか。

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com