戦国武将の危機管理

「敵に回すと怖い!?」家康が島津氏を潰さなかったわけ

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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「島津義弘公」の銅像=宮崎県えびの市で2018年3月4日、重春次男撮影
「島津義弘公」の銅像=宮崎県えびの市で2018年3月4日、重春次男撮影

 慶長5(1600)年9月15日の関ケ原の戦いは、徳川家康率いる東軍の勝利で終わり、その戦後処理は厳しいものだった。石田三成・小西行長・安国寺恵瓊(あんこくじ・えけい)の西軍のリーダー格3人は斬首。その他の西軍大名のほとんども改易処分となった。

 また、改易こそ免れたが、毛利輝元は120万5000石から36万9000石に減らされ、上杉景勝も120万石から30万石に大幅に減封されている。

 ところが、島津氏は、島津義弘が実際に戦場で西軍として戦っていたにもかかわらず、60万9500石がそ…

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com