戦国武将の危機管理

最大のライバルを打ち負かした毛利元就の“奥の手”

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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毛利氏と縁の深い厳島神社の大鳥居
毛利氏と縁の深い厳島神社の大鳥居

 大内義隆の重臣だった陶(すえ)隆房が天文20(1551)年8月末に義隆を長門に逐(お)い、自刃させる事件がおこった。隆房はそのあと名目上の主君として大友氏から晴英(はるひで)を迎え、名前の1字をもらい受けて晴賢と改名し、周防・長門2カ国を支配下に置いている。

 大内義隆に属していた毛利元就にとって、まさに青天の霹靂(へきれき)のようなできごとであったが、結果的にはこの陶晴賢のクーデターは元就にとってはプラスであった。しかし、晴賢は大内氏の勢力をそのまま引きつぎ、軍勢は2万を超えているのに対し、元就は3500から4000がせいぜいで、まともにぶつかって勝てる相手でなかったことはたしかである。しかも、晴賢は臣従してこない元就討伐に動き出した。

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com