
戦国時代、全国の主要産業といえば農業で、その中心は稲作だった。稲作には陸稲もあるが、圧倒的大多数なのは水稲耕作である。
そのため、戦国大名も、農業経営安定のためにかんがい用水の整備には力を入れていた。土木工事が進化したことによって、かなり上流の川をせき止め、何キロも、場合により、何十キロも下流まで水を引くことが可能になった。
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小和田哲男
静岡大学名誉教授
戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com