戦国武将の危機管理

水不足で“我田引水”を防ぐため宇喜多秀家がしたこと

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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歴史イベント「戦国の貴公子 宇喜多秀家☆フェス」で鉄砲の構えを披露する備州岡山城鉄砲隊員ら=岡山城天守閣前広場で2009年11月21日、椋田佳代撮影
歴史イベント「戦国の貴公子 宇喜多秀家☆フェス」で鉄砲の構えを披露する備州岡山城鉄砲隊員ら=岡山城天守閣前広場で2009年11月21日、椋田佳代撮影

 戦国時代、全国の主要産業といえば農業で、その中心は稲作だった。稲作には陸稲もあるが、圧倒的大多数なのは水稲耕作である。

 そのため、戦国大名も、農業経営安定のためにかんがい用水の整備には力を入れていた。土木工事が進化したことによって、かなり上流の川をせき止め、何キロも、場合により、何十キロも下流まで水を引くことが可能になった。

 ただ、いつもいつも順調にというわけにはいかず、日照りが続くと水不足は深刻であった。水争い、すなわち「用水相論」が頻発した。用水相論は用水争論とも書かれる。兵農分離以前、特に豊臣秀吉が行った刀狩り以前は、農民も武器を持っていたので、農民同士の水争いで死者が出るということも少なくなかったのである。

 「我田引水」という言葉があるように、農民たちは、水不足になったとき、自分の田にできるだけ多く水を引きたいため、下流に本来は流さなければならない水を流さなくなる。困った下流の村人が上流の村人と争いになるというのがお定まりのパターンだった。

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com